ミュージックウェブマガジンばんび
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ばんびのアンテナに引っかかってきたミュージシャンを、ピンで解剖(紹介とも言う)しようというこのコーナー。
今回のゲストは先日「Rollin' POP」にもご出演いただいたヴォーカリスト、葵さん。
子どもの頃の話を聞きながら「全然変わってないんだね」などと失礼な相槌を打つばんび隊。
そして インタビュー開始15分後に、永遠を見た気がしました。嘘ですけど。

その9. 葵

―葵さん、福岡出身ですよね。九州ってミュージシャン率が高いんでしょうか。。
なんだろ。地域的に自己顕示欲が強いんじゃないですか(笑)。
―どんなところで育ったんですか。
商店街ですね。小さな街ですけど。
―自営業ですね。じゃあ、継げと言われて育ったとか(笑)。
いや、母親がね、小さな頃は医者になれと。だから子どもの頃はそう思わないといけないのかなと思ってたんですけど、人の血なんて見るの嫌いだし(笑)。
―勉強できたんですね。
学力は低くなかったと思うけど、ガキ大将気質で。昔ならではのガキ大将っていうか。
―遊びを仕切る感じの?
あ、まさにそう(笑)。最近その頃の友だちに会う機会が結構あるんですけど、「昔から発想が凄かったよな」って言われて。
新しいルールを作ってもっと面白くしようとか、完全に新しい遊びを考えたり。やってた人間にしか判らないんだと思うんですけど、 地元に帰って友だちに会うと未だにその話題で盛り上がりますね。
―外で遊ぶ子どもだったんですね。
基本的に外でしたね。
―葵さんくらいの年代だと、テレビゲーム世代かなと思ってたんですが。
小学校入った頃にファミコンが出てきたのかな。で、兄がいるんですけど、その兄がやってるのを後ろで見てて。やりたかったんですけど、本体持ってるほうが強いから(笑)。
―あー、家ではお兄さんに仕切られて、外では友だち仕切ってたんだ(笑)。
兄もそんな性格で。
―明るそうな家ですね。
うん、明るいというか、騒がしいというか(笑)。でも、家族みんなで食事をするっていうのはあんまりなかったですよね。
うち三人兄弟なんですけど、全員中学校から家を離れてるんです。親が、よくいうお受験のママだったんで。地元の学校が荒れてたのもあるんですけど。
自分としては友だちもいるし、なんでわざわざ他のところに行かなきゃいけないんだろうって辛かったんですけど。
でもまあ、受験して、熊本の学校に行くことになって。自分の中での言い訳は坊主にならなくて済むってくらいですかね(笑)。地元の中学だと坊主にしなきゃいけなかったんで。

―じゃあ、寮に入ってたの?
そうですね、全寮制じゃないけど、かなり寮生が多い学校で。中学・高校とずっと寮。人に話すと「軍隊みたい」って言われるようなところで。
二段ベッドがずらーっと並んでて、プライベートなんて全然ないんですよ。 一日に点呼が5回以上あるような学校で、自由時間が30分しかないし。ラジオもステレオも禁止で、外の音楽に触れる時間もなくて。
―それだけ厳しい学校だと、脱走する生徒とかいそうだけど。
いた! 脱寮する奴。俺はしなかった……かな(笑)。帰省も月に1回しか認めないような学校だったんですよ。
―帰省できない週末って何してるの? 補習? 部活?
部活。日曜は音楽室に入り浸ってましたけど。音楽室だとステレオあったんで。
―何を聴いてたんですか?
俺はもう小学校の頃からカーペンターズが好きで。上の兄が色々聴いてたんですけど、耳に残ってるのがカーペンターズ。
メロディも声も綺麗だから。4枚組みのもう今ではほとんど出回ってないだろうCDを偶然見つけて、そのときにしては大枚はたいて買って、 そればっかり聴いてましたね。昔からとにかく綺麗な声に惹かれました。大体女性ボーカルでしたね。

でね、入学すると部活の勧誘が寮に来るんですよ。吹奏楽部に誘われて、一度見においでよって言われて行ってみたら、もう何が何でもこいつを逃すなみたいな雰囲気で(笑)。だいたい吹奏楽部ってどういう楽器があるかも知らなかったんですけど、「選んでいいから」って言われたんですよ。それでいちばん惹かれたのがサックスだったんですよね。それをどうしても吹いてみたくて。

―ああ、それが葵さんとサックスの出合いなんだ。
でも、いざ入ってみたら、俺その頃身体が大きかったんですよ。身体や口の大きさで担当楽器が決まるみたいで。
それで「おまえはユーフォニアムかチューバだ」って言われて。判ります?

―うん、判ります。こんなんですよね(と妙なジェスチャーをする)。
正直、全然惹かれなかったんですよ(笑)。で、「サックスやらせてくれないなら辞めます」って(笑)。それも、テナーじゃなくてアルトサックスがいいって。主旋律が多かったのと、あと上手い先輩がいたんですよ。で、その人としのぎを削りたいと。

―スポコン入ってきてますが(笑)。
まあ、好きですからね、基本的にそういうの(笑)。すましてクール、っていうのないですから。自分的には熱血かなと。
で、その先輩を抜こうと頑張って、1年くらい経ったら「上手いね」と言われるようになって。サックス買いましたからね。

―凄い愛着が急激に出てきたんですね。
そうですね。なんでだろ……。楽しくてしょうがなかったんですよ。
―でも、そうやって考えると、葵さんって10年以上サックス歴があるんですね。
うん、でもずっとやってたわけではないんですけどね。中学のときなんかはサックスでプロになろうと思ってましたもん、そのころ。
でも、親に言ったら「駄目だ」って。俺もよく判ってなかったけど、音楽やるんだったら音大行くか専門学校行くか、みたいなイメージで。
音大行くんだったらピアノとかも弾けないとまずいでしょ。サックスだけやってって訳にいかないし。
だから、俺としては音楽の専門学校にでも行けばいいかなって感じだったんですけど、大学に行けと言われて。

―その頃はまだ医者になれって言われてたの?
いや、さすがに医学部は言われなくなってましたけど(笑)、大学は譲れないみたいで。だいたい、 サックスで食べていけるわけがないって言われてましたから。

―ああ、堅実に行けという感じですね。でも、部活やっててそこまで思い込めちゃうんで すね。
楽好きだったから。歌をうたうのも楽器やるのも。歌は本当に好きだったんで、声変わりしたときはショックでしたね。 もう俺歌えないのかなって思っちゃうくらい。小学校の頃はきっと誰よりも高くて綺麗な声が出てて、先生も信頼してくれてて、みんなの歌をまとめる役を任せてくれてたし。 ―スポコンの話じゃないですけど、中高の部活って、運動部のイメージがありましたよ。
俺ね、スポーツも音楽と同じくらい好きだったし得意だったんですよ。で、中3くらいになったら、吹奏楽部だけやってるのが辛くなってきて。
部活って、なぜか文化系って下に見られてる感じがあるんですよ。それも嫌だったし、スポーツやりたいし。
で、元々小学校のときにやってたサッカー部に入ったんですよ。掛け持ちで。そうしたら余計にサッカーが面白くなってきて帰省したときにも、今度は地元でサッカーチームまで作っちゃった。―ああ、そこでまた遊びを仕切る感じに。
そうかな。でもそのときはさすがにサッカー選手になろうとまでは思っていなくて。やっぱりずっとサッカーをやり続けてきている奴らがいるわけでしょ。後から始めてそのみんなに勝つのは難しいと思ったんですよ。性格的に、一流になれないと感じるものには情熱は向かないものでですね。
それで、どういうわけかスポーツトレーナーになりたいと思ってました(笑)。
―また180度違ったことを(笑)。
そうしたら、また「駄目だ」って言われて。―……それはね、どうせまたすぐ気が変わると思われてたんですよ、お母さんに(笑)。
え、そうなのかな。
とにかく学校でのストレスが溜まりまくってて、気がおかしくなりそうだったんで、高校に上がる前に、地元に戻りたいと親に言ったんですよ。
でも駄目で。
で、結局高校もそのまま行くことになったんですけど、気持ちは地元に向いていました。
それでもう一回、高2の2学期が終わるときに転校の話を本気で持ちかけたんですよ。
かなり必死に説得したせいか、順調に話は進むかと思われたんですけど、最後の最後にやっぱり猛反対されて。まさに家の中大ゲンカでしたね。
熱が冷めてきた頃合いをみて、せめて寮を出たいって相談しました。高校になると寮を出てる奴らもいたんで、とにかくプライバシーが欲しいなと。
―なんかもう、溜まり場になることが見えている展開ですが。
うん、そうですね(笑)。一人暮らし始めて、好きなだけ音楽も聴けるようになって。―お、やっと現在に繋がりそうな気配が。
一人暮らしともなると、興味が色々な方向に向きましたけど、丁度そのタイミングで、高校の先輩から「バンドやってるから見にこない?」って誘われて。
歌うことは好きでしたけど、正直バンドには興味がなかった自分に新しい世界を魅せてくれたんですね。
その先輩たちがやってたのがいわゆるヴィジュアル系で。ヴィジュアル系ってハードロックとかに比べると、メロディーがあった気がして、ロック嫌いだった自分でも面白そうだなと思えたんですよ。どんなに衣装が派手でもメイクが濃くてもいいから、歌はちゃんとしてるやつ。あの頃はそんなのが好きだったし、やりたかったかな。
例えればルナシー、グレイ、ラルク・アン・シエルとか。衣装は初期のラルク・アン・シエルに影響受けてましたね。
それまで長髪なんか男のする髪型じゃない! って思ってたのが、何故かバンド始めた瞬間に伸ばし始めたわけですよ。面白いですよね。


―漸くヴォーカリスト葵さんの話になってきましたが、それはZipangの前身になるバンドだったんですか?
いや、全然違います。東京には一人で出てきましたからね。
―葵さんが初めて組んだバンドはヴィジュアル系?
そうですね、今のスタイルは二十歳過ぎてましたからね。

―ところで、いつから葵ってステージネーム使ってるの?
熊本でやってたバンドの初ライヴからですね。漢字で、華やかさがあってちょっと中性的な名前がいいなって思って。
やっぱり歌は子どもの頃から好きだったし、初めてステージに立ったその瞬間に、今まで生きてきた中で一番強く、「ああこれだ」って思えたんですね。
それで、歌でプロになろうと。九州に対して愛着があって色々葛藤もありましたけど、その為には東京に行こうって決めました。

―葵さん、進学のために上京してきたんですよね。

うん、でも自分としては音楽をやるつもりで。家族にもそう言って。そうしたら「いいよ」って。 ―今度は「駄目だ」って言われなかったんですね。
そうですね。
―それまでとの違いって何なんでしょうね。
うーん……俺が歌うのが本当に好きだからかな。サックスもサッカーも勿論好きなんですけど。
―なにか、今までとは違う説得力があったんでしょうか。
そうなんでしょうね。あと、取り敢えず進学したっていうのもあったと思いますよ。サックスのプロになりたいって思ったときも、スポーツトレーナーになりたいって思ったときも、大学に行くのは現実的じゃなかったですし。 ―いよいよ上京してきて、最初に組んだバンドがZipangだったんですか?
数回違うバンドでライヴをやりました。そのあとがZipangですね。

―ちょっと話がずれちゃうんですが、葵さんはVelvet Spiderで初めてアルバム全曲作詞したって言ってましたよね。
ええ。
―Zipangではどうだったんですか?
Zipangでは、「葵はヴォーカリストに徹すればいいから」って。詞もあまり書かなくていいって。
―あ、そうなんだ。
でもそういうことで辞めた訳じゃなくて、事務所のやり方に疑問が出てきて。で、他のメンバーは残るっていうんで、ひとりで辞めて。
それで暫くはセッションとかでメンバー探してたんですけど、やっぱりバンドをやりたくて、それで元のメンバーにもう一度声をかけて組んだのがGOLD ROCKSですね。

―あ、そうなんだ。GOLD ROCKSはヴィジュアル系ではないですよね。
違いますね。グラムロックだという人はいましたけど。
―Velvet Spiderには近い感じだったんですか?
大きな枠組みで言えば近いと思いますよ。それを見てJIMMYさんがヴォーカリスト葵をいいと思ってくれたんですから。
ハード・ロックンロールって感じかな。自分の中で分けるのは難しいんですけど。例えればガンズ(・アンド・ローゼス)とかエアロ(スミス)とかモトリー・クルーみたいな感じかな、敢えて言うなら。
本当は並行してやっていくつもりだったんですけど、ちょうどVelvet Spider始めようってときにメンバーが抜けちゃったんでね。

―結成してちょうど1年ですけど、ざっと振り返ってどうでした?
今年の前半は忙しかったですよね、レコーディングで。後半は……バンドのスケジュール的にはゆったりしてたんですけど、それ以上に色々と考えることが多かったんで、精神的にはかなり疲れたかな。
―ちょっとこの先の野望とか聞いてみましょうか。
んー、今の年齢の俺にしかない良さってあると思うんですよ。それって今しかないものかなと。
勿論、歳を取ったら違う良さが出てくるとは思うんですけど。
だから……もっともっといいソング、いいヴォーカリスト、いいバンドを目指したいですね。

―……地球征服じゃないんだ……。
何言ってるんですか?

【Golden Age】 : http://www.golden-ag.com/
 
interview : t_in
photograph:chakoba

6月6日生まれ。福岡県出身。
Zipang、Gold Rocksを経て、03年Velvet Spiderに参加。

..CD Infomation
【Velvet Spider】
DANGER CRUE RECORDS
\2,800(tax in)
 

 

   
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