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ばんびのアンテナに引っかかってきたミュージシャンを、ピンで解剖(紹介とも言う)しようというこのコーナー。
第12回目のゲストはTHE SOUND BEE HDのヴォーカル&ギターのDAISUKEさん。
自主企画イベントの当日、図々しくも時間を取ってもらってインタビュー。穏やかな口調と裏腹の発言にばんび隊吃驚さー。それにしても池袋の喫茶店は怪しげだな(笑)。
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―そもそもどちらのご出身なんですか?
和歌山ですね。僕が住んでた頃は田舎なんで、(音楽も)売れてるものしかなかなか入ってこず、ですね。インディーズのものを買いに行こうと思ったら大阪まで出てました。衣装も大阪まで買いに行って。 ―音楽に触れる前って、どんなお子さんでした?
関西なんで、街全体がちょっと柄が悪いというか(笑)。僕は紀南の、白浜温泉が近くにあるようなところに住んでて、田辺市っていうんですけど、中野にプラス海って感じのところですね。 ―じゃあ、割とやんちゃに遊んでるほう?
そうですね(笑)。 ―音楽やってる人って、何故か子どもの頃って物凄く暗い内向的な子どもか、周囲をてこずらせるくらいやんちゃか、どっちかみたいなんですよね。
まあ、次男坊なんで(笑)。兄貴と喧嘩すりゃ怒られて、弟を苛めりゃ怒られてって感じでしたね。いちばん自由奔放に……っていうか、もう家にも帰らなかったり。 |
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―……はあ?
家に帰らなくても、何とかやっていけるようなところだったんですよ。友だちの家でご飯食べて泊ってきたり。半年くらい転々としてたり。アルバイトは昔からやってたし。 ―えーと、小学生の頃の話ですよね?
中学生のお兄さんが新聞配達とかやってるじゃないですか。出られない日に代わりに配達して。それで生計立てたり(笑)。小学生は小学生なりに(笑)。小学校・中学校はそんな感じで。 ―自立した子どもって感じですね。
ああ、正にそんなの。子どもなのに親に面倒は見てもらいたくないって思ってましたから(笑)。 ―別に親御さんと仲が悪いわけじゃないんですよね?
いや、仲悪かったですよ。 ―兄弟の中でひとりだけ?
はい。 ―3人兄弟の真ん中って抑圧されるっていいますよね。
居場所がないというよりは自分で突っぱねてるって感じですね、今考えれば。「おまえらいなくても生きていってやる」みたいな感じがあったんですよね。
その頃家っていうのは車・バイク関係の店やってて、高校のときに倒産しちゃったんですけど、親は俺に継がせたいと思ってたらしくて。それはもう絶対に厭だったし。なんか失敗しても「どうせおまえ家業継ぐんだろ」みたいに思われるのも嫌いだったし。だから、取り敢えずは自分の面倒は自分でみようって。 |
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―そこまでの自立心をそんな小さいうちから育てちゃうってのは何なんでしょうね。
やっぱ家庭環境じゃないですかね。両親の仲もあまりよくなかったし。親同士喧嘩しているところを見ているわけでもないんですけど、なんとなく感じるものがあって。
あとは親戚かな。みんないい学校とか行ってるんですけど、俺は友だちもあまりよくなかったから(笑)。いや、俺にとっては凄くいい友だちだったんですけどね。自分が選んだものにケチをつけられてるような気がしちゃって。 ―DAISUKEさんの場合、子どもが冒険心でやる家出というよりも、「此処じゃない何処か」を探してる感じが凄くしますね。
まあ、でも東京出てきたのも家出みたいなもんですけどね(笑)。 ―それは何歳くらいの話ですか?
高校出てからですね。そこから10年くらい家に帰らなかったんですよ。だから、家出したまま居ついちゃった感じですね。
実は俳優になりたいと思ってたんです。ずっと映画が好きだったんで、そっちの関係に進みたいと思って、中学生くらいの頃からオーデションとか受けに来てたんですよ。でも、中学生だとこっちに住んでないと駄目って言われてしまって。オーディション受かっても、最終的に「学校は出てから来なさい」ってなっちゃって。
結局出てきたのも、あるオーディションがあって。親にも「ちょっと出てくる」って、東京に行くともオーディションを受けるとも言わずに出てきちゃって。
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そうやって出てきて、とにかく住むところを探さなきゃって。警備員の寮つきのバイトを見つけて1か月くらい居ついて。そこで資金を貯めて部屋を借りました。そのときはさすがに親に連絡しましたけど。保証人が要るんで(笑) ―じゃあ、東京に出てきたときには音楽のこととか考えてなかったんですか。
全然なかったですね。役者の仕事って、一応入ってはくるんですけど、事務所がお金持っていっちゃったりして、契約書もなくて結構騙され系で(笑)。他のオーディション受ければ研修料とか言われてまたお金持っていかれて。 ―搾取されつづけ(笑)。
うん(笑)。そういう感じで3年間くらいやってたんですけど、またよくない時期に入ってきちゃって(笑)。やったバイトがテキ屋だったりしたんで(笑)。殆ど盃交わしてないだけでヤクザみたいな感じだったんですよ。そうしたら、たまたま一緒に働いてる奴がバンドやってて、それが布袋さんの妹さんのバンド(ガラパゴス)のギターだったんです。
それでバンドに興味を持ってきて。仕事を変えて少し真面目に働こうと思って倉庫関係の仕事に移ったんですけど、そこで知り合った男の子がLUNA
SEAと凄く仲良くて、で、「紹介したい奴がいる」って引き合わされたのが(河村)隆一だったんですよ。「今度ステーションでワンマンやるんだ」って言ってた頃で。それで仲良くなって、俺はその頃何もやってなかったし、ぷらぷらしてたんで、「歌でもうたってみなよ」って紹介されたのがmedia
youthのオーディションだったんです。
それから直ぐエクスタシー(レコード)入って、武道館に出ることが決まってて。 ―じゃあ、音楽に対して熱意ってあんまりなかったんでしょうか。
うん。先輩に誘われて学園祭でコピーバンドやったことがあるくらいでしょうか。 ―始めるまでそこまで熱意がなかった人に会ったの初めてかもしれない(笑)。
(笑)。だから「あれ?」っていう間にすぱんすぱんすぱんって決まっていったんで。バンド入って武道館出て、レコーディング入ってって。インディーズで2年間くらいやってメジャー行ったのかな。でも、しっかりしてなかったんですよ、自分自身が。本当にこれがやりたいのかどうなのかっていうのは、メジャー行ってからもずっと凄く悩んでました。デビューした頃はむしろ嫌いでしたね。 ―音楽が?
んー、というより、夢を追って入ってくるわけじゃないですか。でも、絶対にメンバーがいて、事務所があって、レコード会社があって、このトライアングルが上手く行ってないと駄目ですからね。 |
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―それは、まだ役者をやりたいっていう気持ちが残ってたから?
いや、もう何がやりたいっていうのが見えてこなかったんですよね。勿論歌いはじめた頃は楽しかったですけど、やってるうちにプロ意識とかに目覚めてくると楽しいばかりじゃなくなってくるから。そんなこんなしている間にどんどん色んなものが見えなくなってきて、ノイローゼ入ってきちゃって……。で、その頃「俺って生きてていいのかな」って思っちゃうくらい、精神的にはどん底で。人間として復帰ができるかくらいかまで堕ちてね。 ―その間って何をしてたか覚えてます?
殆ど覚えてないっすね。思い出したくないというか(苦笑)。 ―DAISUKEさんの場合、幼い頃から表現に対する衝動が強かったわけですよね。それを奪われちゃって、全部内側に向かっちゃった感じなんでしょうか。
そうですね。どんなことをやっていても、やればやるほど核に戻っていくわけじゃないですか。核を曝け出すというか。出たら出たで傷つくことのほうが多かったし。自分で操作してないっていうのがあったし、どう(自分を)動かせばいいのかも判らなくなってきて。結局出せば出したで、自分の厭な部分ばかり出てきてしまうようで、辛かったですよね。活動休止期間中に、本当に俺は音楽が好きなのかというところに来て。歌しかうたってなかったんですよ、それまで。詞を書いて歌うところまでしかしてなかった。曲を作らなきゃミュージシャンっていえないんじゃないかと思いはじめて。このままでいたら、本当に自分がなくなっちゃうなって思って。生きてる価値がなくなってしまう、じゃあ、何がやりたいんだろうってところまで行って、やっぱり音楽をやろうって。そこで初めて思ったんですよね。 |
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―それまでは流されるままっていう感じがしてた?
というより見え辛かったんですね。本当に気持ちがいいのか、とか。 ―media
youthって何年くらい続いてたんですか?
6年くらいですね。 ―その間ずっとお家とは音信不通?
婆ちゃんが亡くなったときくらいですね、連絡が来て。でもツアー中だったんで。
家族と離れたのはよかったと思いますよ。家と離れたことで関係がよくなったというか。でも帰る機会は全然なくて。2年くらい前に漸く帰ったんですけど、本当浦島状態でしたね。街は変わってるし、自分の思い出の場所は残ってないし。 ―media
youthのあとは直ぐにSound Beeですか?
いや、ソロの時期があって。まだ事務所に籍は置いてあったんですけど。そのソロ期間中に、このままじゃいけないって色んな機材を覚えだして。そのときにシンセも覚えて、打ち込みにはまっていって。ギターもベースも弾いたことなかったし。でもこのふたつは何とかなるんですよ。ドラムだけは無理だったんで打ち込み始めたらはまっちゃって。 ―音楽を自分で作りはじめようってなるにはかなり遅いほうですよね。
そうですね。やりはじめたのがもう25くらいでしたから。半年後にはデモテープ作ってメンバー探して。メンバー探すのに、どういうものをやりたいんだって示さなきゃいけないんで、じゃあ作れなきゃ駄目だっていうところから始まったんですよ。 ―以前やってらした音楽と、今やっている音楽の共通項が見つけられないんですけど。ルーツになりそうな音楽ってないんですか?
小学校の頃はYMOが凄く流行ってた頃で、テクノと呼ばれるものだったり、中学のときはBest Hit USAだったり。だから80年代のものですよね。バンドを始めてからはNine
Inch Nailsだったりしたんで。衝撃を受けだしたのが、周りにバンドをやってる人間が増えて、渡されるCDに刺激的なものが多かった感じで。グランジも好きでしたね。
自分が今やってる音楽っていうのは、The Smashing Pumpkinsのアンサンブルに、もっと同期ものを加えたいって手法が大きいんじゃないかと思いますね。
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―THE
SOUND BEE HDのやっている音楽というのは、デジタルなものと生の音をミックスするというよりは、両極を同時に出しているっていう印象なんですが。
うん、僕の狙いとしてはそっちですね。生は生でしかあり得ないものががんと出てきていて、で、演奏が止まったときにデジタルな音がしてっていうのが凄く好きで。音源では音の分離方向が分けられるんでそうするけど、ライヴではもう生の音ががーっと出てくるほうがいいやって感じなんです。 ―話が戻っちゃいますけど、デモを作ってメンバーを探して作ったのがSound
Beeですか?
YOU(Ba.)はソロ時代からですから長いですね。Sound Beeってちょっと変わってて、町内会みたいなんですよ。家も割りと近いから、誰かが困るとお互いに助け合って、みたいな(笑)。 ―もう少しクールな関係を想像してました。
レコーディングのときはそうなりますけどね。みんな活動暦も長いし、阿吽の呼吸でね。どんな状況下に置かれても自分を出せるっていう自信もあるし。言葉がなくても阿吽の呼吸で。凄くいい環境になってきてますね。どんな事件が起きても驚かなくなったし。無理もしないし、結びつかないことはやらなくなりましたね。 ―ところで、今年名前を変えたのはどうしてでしょう。
機材が変わったんですよ(笑)。今ってPCで何でも管理できるし、セカンドブレイン的な。色んなものをHDで分けてるんでHDをつけたかったんですよ。今までは使ってる機材もデジタルなんだけど、アナログチックな使い方してたしね。とにかく分けたかった。きれいに俺を2人に。俺が考えて、ヤツが具体化するってな感じでね。それが今サクサク出来るようになったから。 |
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―じゃあ、HDってハードディスクのことですか。
そう、そのまんまです。少なくとも5年は変わらないだろうなと思えるシステムが組みあがったんで。 ―ライヴでも思ってたんですが、凝り性ですね。
そうですね。O型なんで、他のところは適当なんですけど(笑)。 |
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| 【THE SOUND BEE HD OFFICIAL-SITE】 http://soundbee.moon.ne.jp/ |
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