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ばんびのアンテナに引っかかってきたミュージシャンを、ピンで解剖(紹介とも言う)しようというこのコーナー。
第2回目のゲストはサポートギタリスト&アレンジャーとして活動中の加納望さん。
ばんび隊の暴言を際限なく引き出す聞き上手でした。
そして、2回目にして既に雑談の域。いったい、どうするんだ、ばんび隊! |
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-是永さんのボウヤをやってたってお話ですが、REBECCAとか聴いてた?
いや、実は聴いてなかったんですよ、オンタイムでは(笑)。
だから付き人始めて、ふと合間にラズベリー・ドリームのイントロとか、有名なフレーズを弾いてくれるんですけど、わかんなくて。で、家帰って調べたり(笑)。
-そりゃちょっと書けないね(笑)。でも書くけどね(笑)。
マジっすか(笑)。(←マジだよ)
-じゃあ、なんで付き人やることになったの?
楽器屋に募集の貼り紙があったんですよ。
-そんなとこに是永功一の付き人募集の貼り紙があるの?
結構あるんですよ。ミュージシャンの行きつけの楽器店とかには。
-もちろん、是永さんを知らずに応募した訳じゃないですよね?
そりゃそうですよ(笑)。
高校の先生にバンドやってる人がいて、その先生のおかげで僕らは学園祭でライヴ出来たんですけど、その先生がやってたバンドがCHAGE&ASKAのコピーバンドだったんです。
(高校を)卒業したあとその先生が「おまえギター弾けるんだから、ちょっとうちのバンドで弾いてよ」って、ASKAさんのソロツアーのビデオを渡されて、そこでギター弾いてたのが師匠(是永功一)だったんですよ。
で、「是永功一ってすっげー」ってずっと思ってて、師匠の作ったサントラとか買ったりしてたら、楽器屋で募集の張り紙を見つけて「うわっ!」って(笑)。
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-そりゃあ、神様のお導きだね(笑)。
もの凄くトントン拍子に行きましたよね、僕は。 -元々(音楽の)専門学校に行くために上京してきたんですよね。
そうですね。 高校卒業してすぐ出てきて、2年間専門学校に行って、その後すぐ6月くらいから2年間ボウヤやって。
-2年間って、ボウヤにも卒業ってあるの?
いや、実は機材運んでたらヘルニアになっちゃって、車の運転ができなくなっちゃったんですよ。
-あー、それは無理だね。
でも新しい人が見つかるまでは辞められないから3ヶ月くらいそのまま続けてて、ちょうど5月くらいに他の人が見つかったから、数えてみればちょうど2年くらいってことですね。
それで引継ぎも終わって辞めるかって時に、師匠と「esper」ってバンドやってたベースの山田さんが、奥井雅美さんのバンドのメンバーを探してて「おまえ、ちょっと弾くか?」って言ってくれて。
-ギターっていつ頃始めたの?
小学校の5年生のときですね。
-最初はフォークギターから?
そうです。もう子どもの頃の写真見ると、ギターに持たれてる感じ(笑)。
その頃はいわゆるフォークソングが中心で、ギターよりは歌のほうに比重が大きかったと思います。CHAGE&ASKAと徳永英明が大好きって言う、変な小学生でした。(笑)
-エレキギターはいつから?
中学からですね。エレキ持って、バンドとかやりはじめて、最初はやっぱりBOΦOYとかX(JAPAN)とかのコピーやって。
で、そういうのやってると、だんだんそのルーツの音楽をコピーしだす奴も出てきて、「なんだよ、おまえらまだXとかやってんのかよ」とか言われて(笑)。
-ああ、「そんなの、○○のパクリじゃん!」って言う奴必ずいるよね〜(笑)。
そうそうそう(笑)。
そういう奴が出てくると洋楽のコピーバンド組む話も出たりして、BACK-TICKとかXとかやりつつ、ハードロック・・・・・・ハロウィンとか、所謂ジャーマンメタルとかもやりつつ、高校あたりになるとGLAYとかラルクとかLUNA
SEAもやりつつ・・・・・・。
-えっ、ラルクって高校時代なの!(笑) ジェネレーションギャップだ・・・・・・
わはははは(←笑いすぎ)。
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-メジャーなものも押さえて、ちょっとマニアックなものも押さえてっていう高校時代のようですが、「ああ、これが目指すものだ!」って感じたものってなに?
ケミカルブラザーズですかね。
高校入ったら友だちにテクノが好きな奴がいて、そいつに洗脳されてテクノ聴くようになったんです。でも傍らではMR.BIG、エクストリーム、スティーヴ・ヴァイっていう所謂ギタリストものも聴いてて、で、付き合いっていうのも変ですけど、友だちのバンドでGLAYやLUNA
SEAもやってて。
もうなんでもありっつーか、どれもこれも演りたいっていうか。
そういうときにケミカルブラザーズを聴いて、俺にとってはミクスチャーの走りというか「こんなジャンルがあるんだ」って一気にハマっちゃったんです。
おまけにジャズもカッコイイっなって思ってたら、スクウェアープッシャーっていう人に出合って。この人はジャズベーシストのひとりユニットみたいな感じなんですけど、デジタルサウンドの上で超絶なジャズベースがうねうね言ってるんですよ。それ聴いてもう完璧やられちゃって、専門学校に通いながらジャズギターの学校にも通いました。
ギタリストとしてはスティーヴ・ヴァイとかテクニック系に惹かれるんだけど、音楽的にはデジタルなものというか、当時まだカテゴライズされてないものに惹かれたんですよね。 |
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-そのころ聴いてたテクノって、日本だと、例えば電気グルーヴとかかな?
そうですね、電気グルーヴも聴いてました。学園祭でもやりましたね(笑)。
馬鹿なことを凄く真剣にやってて、でもその馬鹿なところがカッコイイっていう、そういう世界観が自分にも欲しいなあってずっと思ってるんです。
-学校入るために上京してきた、そのときにはもう音楽やって食べていこうと思ってたんですか?
それはもう、高校に入るときからですね。
-親御さんに「でも高校くらいは行っておけ」とか言われた?
いや、自分でも一応高校までは行こうと思ってたんです。そこまで急いで東京に出る必要はないと思ってたし。
だけど思春期の頃って色々考えるじゃないですか、「大学に行くつもりもないのに普通科に行く必要があるのか?」とか。
それで受験のぎりぎりになって「俺、大学行くつもりないから、普通科やめて商業(高校)行ってパソコン覚えたい」って言ったんです。
その頃にはもうパソコンで簡単な曲を作ったりするようになってて、もっと詳しくなりたいって思ってたんで。
-技術的なことや、ベースになることを覚えようと思ったんだ。
そうそう。そこで父親とはえらい喧嘩しちゃって。
-どうやって説得したの?
いや・・・・・・もう「俺、こっちにする」って宣言して。
「入学金かかるから、(普通科の)滑り止めも受けない」って言ったら、母親は胃に穴を開けるし、親父はキレるし(笑)。
-兄弟いるの?
いや、いないんですよ。母親が身体が余り丈夫じゃなくて、子供はちょっと…って時期もあったみたいでしたし。
-ああ、そりゃあ、しょうがないね。
親不孝なのかな、とも思うんですけどね。
もう父親は高校を選んだ時点で諦めてたというか、もう好きにやれよって感じだったんで、東京に出るときには何も問題は無かったです。
母親のほうは、俺、元々母親と一緒にフォークギター習いに行ってたんですよ。
だから、もう自分の蒔いた種だって(笑)。
-今はどう?
初めてプロとしてステージに立ったのが奥井さんのツアー初日の横浜だったんですけど、それに単身赴任みたいな感じで横浜にいた父親が来てくれました。プレイは散々だったんですけどね。(笑)
母親は関西にツアーで行ったときは必ず来てくれてるし、早い段階でモメておいたおかげか、今では応援してくれてます。まぁ母親はもとから音楽好きなんですけど。
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-なんだ、お父さん優しいじゃん(笑)。初めてギャラもらったときってどんな気分だった?
ちょっともう・・・・・・信じられんって。
自分の演奏がお金になってるっていう実感が掴めてないのに、ちゃんとお金は振り込まれてるわけで、「これ、貰っていいのかな」みたいな。
ボウヤやってるときに、「自分の演奏が金になるっていうのはどういうことなのか、よく考えろ」って言われたりしてたんですよ。でも実際受け取ると、全然心構えなんか出来てなかった(笑)。
自分はプロなんだって思おうとしてるんだけど、感覚としては仕事してるというより好きな事してるだけで。好きな事やらせてもらって楽しい思いさせてもらってるのに、更にお金まで貰っちゃったっていうのが半分申し訳ないって感じで(笑)。
-サポートの仕事って、意に染まないこともある?
特にジャンル的にこれだから楽しい、これだと楽しめないっていうのはないんですけど、ミュージシャンを再生装置みたいに思ってる現場はいやですね。人が変われば音が変わるっていうのは分かって欲しいです。
「CDの通りに弾いてくれればいいから」とかって言われても、CDで弾いてんの俺じゃないんですけどって(笑)
。 
-今やってるというユニットの話を聞かせてもらえますか。
rockBlockっていうんですけど、今のところヴォーカルと2人でやってます。といってもまだ音源作りしかしてないんですけど(笑)。
世界観っていうのはケミカルブラザーズとかのデジロックサウンドと、最近好きなリンキンパークとかのヘビーロックを混ぜた感じなんですが、僕としては更にそのもう一歩先 |
の場所にいけたらと思ってやってます。
-ポップなものをやったり、R&Bやったり、色々仕事でやってるけど、自分でやるのはデジロックなんですね。
んー、そういう意味では変な話なんですが、何を弾いてもどことなくデジロックっぽくなるっていうのはあると思います。
俺ってギターには全部先生がいるんですよ。
フォークギターの先生がいて、エレキギターの先生もいて、専門学校にも当然先生がいて、ジャズギターもちょっと習ったし、師匠(是永氏)もいるし。
だからパスタもソバもウドンもラーメンも作れるんだけど、何作っても必ず同じスパイスが入ってるみたいな。

-じゃあ、ひとつのスタイルを極めたいっていうより、惹かれたものは何でもやってみたいってタイプなのかな。
常に新しいものを探していきたいとは思ってます。
だから、「21世紀の○○」みたいな言われ方をしても、全然嬉しくない。それよりは「自分風」みたいなものを作って行きたいって考えてます。難しいですけど(笑)。
「なんとかにそっくり」っていうのは芸術というよりは技術の世界の話だって気がしますから。
-じゃあ、「その髪型、シド・ヴィシャスみたいだね」って言われたらどう?(笑)
うれしいかも(笑)。
プレイや格好が何とかに似てるって言われても別に平気なんですけど、自分の前に立ってる奴がそういうこと言われて喜ぶ奴だとダメかな。まあ、これってバックでやってる人間だからかもしれないですけど。
似ちゃうのはしょうがないと思うんですよ。誰だって最初はあこがれのアーティストみたいになりたくて始める訳だし。でも、それがゴールじゃないんだからって。
-これからやってみたいことってあります?
俺は自分にとってホットなものっていうのがころころ変わるやつなんで、そのホットなものに忠実でありたいと思うんですよ。
同時代的っていうか、目の前にいる今ここで生きてる人に伝わる言葉で話したいって言うか。
だから所謂ミュージシャンとしての活動よりは、少しアーティストよりの活動に比重を移して行きたいなって思ってます。まぁしばらく自分のバンドってものもやってませんし(笑)。
で、今俺が音楽を通してやろうと思っていることっていうのは、どれくらいの人数かは判らないけど、今同じ時代に生きてる人たちにきっと求めてもらえるものだと思ってます。
-で、それはいつ聴けるのよ?
いやあ、なかなか完成しなくて(笑)。
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