ミュージックウェブマガジンばんび
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ミュージックウェブマガジン "ばんび"は、ジャンルを超えて音楽を楽しみたいと考えるGROOVE SITEです。
ばんびのアンテナに引っかかってきたミュージシャンを、ピンで解剖(紹介とも言う)しようというこのコーナー。
第18回目のゲストは都音のギタリスト、若井望さん。
休日の公園通り、雨の午後。アンニュイな雰囲気の中、怒濤の2部構成インタビュー(?)。今回はその第1部、「マットーな音楽の話」編。第2部はまあ、いろいろ(笑)。

その18. 若井望

―今って和楽器とロックの融合みたいな音楽が増えてきつつあると思うんですが、若井さんが興味を持たれたきっかけって何なんでしょう。
和太鼓叩いている桐ヶ谷(伝)のバックバンドの一員を、大学のときに仕事でうけていて。それで更に面白いことが出来ないかって言ってるときに、マニピュレートとアレンジやっている太田(岳夫)と出会ったんですよ。彼がアンビエントが得意だったんですね。で、彼のマニピュレートとアンビエントテイストが今まで表現し切れなかった部分を補ってくれるんじゃないかと思って、一緒にやってみたらこれが良い形ではまったんですよ。内容的には、形に囚われずに僕らの速度で今の邦楽、日本の景色とかを音にしちゃおうって感じですね。

―では逆にジャンルそのものにも拘らない?。
そうですね。ジャンルも多岐にわたって。ピアノがメインのインストがあったり、ロックっぽいものを出してみたり。ロックの部分だと六三四さんをはじめ先駆者も沢山いますから。その辺も意識はしつつ、僕らの視線から間口を拡げてやってみようという感じですね。

―都音って、結成はいつなんですか?
2002年の冬ですね。スタートしたのが2003年です。ライヴにお客さんは来てくれるんですけど、いままでなかなか盤を作るところに至らなくて。それぞれ活動しているので、スパンが長くなっちゃってたんですよ。

―じゃあ、そこに至るまでのお話を聞かせていただこうかな。お生まれは東京なんですか?
北海道です。親の転勤が多くて。最終的に落ち着いたのが埼玉。音楽始めたのも遅めですね。高校入ってからで。僕はそれまでは本気で空手家になろうと思ってましたから。

―それ、子どもの頃からですか?
いや、中学になってから。小学生の頃はサッカーとか。中学で空手を3年間みっちりやって。

―若井さんが空手に惹かれたのって、どこなんですか?
やっぱ、あの極真の精神論がよかったんじゃないですか(笑)。あのストイックさが意外と僕には合ってたというか。中学のときに自分自身を鍛えたいという願望があって。で、始めたらはまっちゃったって感じですね。K1とかもなかったですから、当時はかなりマニアックな奴だったと思いますよ。
―誰かを見てそうなりたいって思ったの?
いや、単純に強くなりたいって思ったんですよね。漠然とそういう力を欲してたんじゃないですか。何かやりたいことを見つけなきゃなって思ったときにあったのが極真空手で。
―埼玉に落ち着いたのは幾つのときですか?
それが中学のときですね。それまでは、小学校も4箇所くらいは行きましたから。
―若井さんは集団に溶け込むのは得意なほうですか?
要領はいいかも(笑)。深くは、つきあわないけど。いちばん要領悪いのは音楽やってる時のような気がしますね。 ―そんなに移動してると、子ども時代の記憶って散漫になったりしません?
いや、凄く小さい頃からありますよ。1〜2歳くらいからある。這いずり回って隣のうちまで行った記憶とか。あとから聞いたというんじゃなくて、親に確認してその記憶が正しかったって判ったという。

―記憶力いいですか。
いいと思いますね。

―失言しないようにしなきゃ(笑)。

いやいや(笑)。あと、一夜漬けとかは結構得意でしたよ。試験こなすのが巧かった。

―熱中してた空手をやめたのはどうしてですか?

怪我したんですよ。足の親指の骨を折っちゃって。高校入ってからも暫く続けてたんですけど、以前より踏ん張りがきかなくなって、ああ駄目だなっていうのが自分の中に出てきちゃって。一時は目標がなくなっちゃってどうしようかなと思ってましたね。その頃って、大会とか出稽古とかにも出ていていいところまで行ってたんですよ。で、同年代の強い子とかも見ていて。で、今やれないんだったら差がつくなと思って、だったら違うことを目指したほうがいいって思ったんですね。
―かなり冷静な中学生ですね。
そうですね。空手はそういうところがないと。そういう目は養われましたね。

―音楽に興味を持つようになったのはそのあと?
中学のときは音楽には殆ど興味がなかったですね。学校でもいちばん苦手な教科は音楽でしたから。

―それがどうして音楽に行ったんでしょう。
流行ってる音楽を友達から借りて聴くようなことは、ちょこっとしてたんですけどたいして興味をもてなかったんですよ。でもある日Deep Purpleの「Highway Star」を聴いてガツンときたんですよ。洋楽の知識とか全然なかったんで、衝撃だったんでしょうね。そこからですね。

―ある意味スタンダードですけど、若井さんの世代で何故Deep Purpleを聴いちゃうんでしょう。
よく覚えてないですが、たまたまうちにあったんだとおもいますよ。誰の持ち物だったのかは未だに謎ですけど。親も音楽聴かないんで。―じゃあ、音楽に触れる機会も少なかったんですね。
全くないですね。うちの家系はみんな音楽苦手ですから。家族の中で僕はちょっと浮いてましたからね。
―それは音楽を始めたせいで?
いや、その前から。例えば絵がひとりだけ巧かったり。だいたい、顔が似てないですからね(笑)。
―そういえば、絵もお描きになりますよね。
絵は得意でしたね。高校のとき、美大に行くか音大に行くか、ギリギリまで悩んでましたからね。
―ちょっと話戻しますけど、Highway Starを聴いてショックを受けた若井少年はいきなり楽器を始めようと思ったんですか?
歌は昔から苦手だったんですよ。校歌を歌うのも厭だっていうくらい。で、曲聴いて今度はCalifornia JamっていうDeep Purpleのビデオを観まして……、そうしたらリッチー・ブラックモアの音楽的な素晴らしさは勿論なんですけど、自己表現のしかたというか感情発露の仕方というんですかね、例えばギターを壊さざるを得ないあの衝動というか、その感じにやられて。
―ストイックに空手をやってらっしゃった訳ですよね。そこにもそういったある種の破壊衝動ってありました?
あったと思いますよ。僕が音楽やるうえで、勿論すべてではないですけど、つきまとってる感じはありますね、そういう破壊衝動的なものは。やっぱり感情をどう表現するかということで。闘うことによって表現するのか、ギターを弾くことによって表現するのか、絵を描いて表現するのか。感情をどこに落とし込むのかは違いますけど、大きくは同じですよね。
―表現の発露の手段として、若井さんにとっては音楽が素晴らしいと思った?
というか、そこに芸術性の崇高さを感じたんじゃないですかね。ステージでそれを表現していることが神掛ってるっていうか。例えば抽象画観てて「なんかすげーな」って思うこととかがある訳ですよね。テクニックももちろんですが、それだけじゃなく勢いのようなものが、そこに封じ込められているというか。そういったものをより生で体言してくれている感じが音楽にはあるんですよね。
―若井さんはずっと自分を表現するということをテーマにしてらっしゃった訳ですね。
うん、それはありますね。どっちかというと、単純に「ロックスターになりたい!」というよりも、ここにいる「自分」や「感情」をロックで形にしたいなって。その上でスターになれればと。
―で、その手段がギターだったと。
まあ、手っ取り早く始められるってのもありましたよ(笑)。さんざん格好つけたあとで言っちゃあなんですけど。手ごろな楽器は、ギターしかなかったという感じですね。楽譜が読めなくても世の中にはタブ譜というものがあるってのを知ったというのも取っつきやすかった理由かもしれませんね(笑)。そこからは、もうありがちなバンド馬鹿でしたよ(笑)。
―いきなりエレキギターから始めちゃったんですか?
メクラッシックギターもありましたけど、弦が堅くてFが押さえられないという定番の挫折をして(笑)。で、エレキギター持って、当時高校でいちばん怖いであろうと言われていた先輩に「ギター弾けるんだよね?」って聞かれて、実はそんなに弾けなかったんですけど「弾ける」って言って(笑)、バンド生活が始まったんですね。周囲に言われてるほどは弾けてなかったですね。一所懸命練習しましたが。なにせ先輩が怖かったんで(笑)。人気者のロック好きな先生がいたり、学校自体もバンドが盛んだったんで、その影響で洋楽聴いて、ジャパメタ聴いて。だからスタンダードなハードロックのカヴァーばかりやってましたねえ。
―ジャパメタって、何を聴いてたんですか?
アンセムをはじめ、ラウドネス、ブリザード、44マグナム、EZO……その他もちょっとマニアックに聴いてましたね。日本にもこんなすげー人たちがいるんだって。どうしても洋楽に偏りがちになるじゃないですか。でも、これ単純に凄くない? って。何でこのバンドが今いないんだろうってよく思いましたから。でね、高校のときに藤井陽一さんというプロギタリストの方のローディーやってたんですよ。現場ついていって、プロの人達って本当に凄いなってものを間近に色々見させてもらったんですよ。
―高校時代にボウヤをやってたっていうのは珍しいですね。
地元の楽器屋でもの凄くギターの巧い人が弾いていたんですよ。それで、ナンパしたんですよ(笑)。それが藤井さんだったという。それから世界が広がりましたね。

―それってアルバイトですよね?
そう、楽器屋でもバイトしたりしました。学校と家にはいないこと多かったですね。で、ローディーやっててスカウトされたんです(笑)。

―それってバンドに?
いや、芸能事務所に。最初に行った現場で(笑)。
―実際芸能活動してらしたんですか?
そこそこに。モデル系の仕事とか。役者になれとか、ポップスでデビューの話もあったんですけど、自分の中にハードロック、へヴィメタルっていうのが譲れないものとしてあって。若さ故の頑なさというか。18とか19とか、それくらいの頃ですかね。
―あれ? いつの間に進学したんですか(笑)。
一応、進学希望だったんで(笑)。美大行くか音大行くかで、美術の先生には美大に行けばって言われてたんですよ。文化祭のあとに「おまえは音楽より美術のほうが才能がある」って。そのときは、自分でも薄々そう感じてたんですよ。まだ始めて日も浅いし。でもなんか、若さ故にカチンと来ちゃって(笑)。本当に口惜しくて、だったら受験してやろうと思って音大受けたんですよ。ゼロから始める音大受験ですよ。高校3年の後半の頃からですね。
―普通音大を受験しようとする人って、それこそ小学校の頃から準備してますよね。
ええ。でも受験もギターで受けられる学校ではあったんで。
―合格したときは「やった!」って感じですよね。
そうですね。その時は本当に頑張ろうって思ってましたね。でも、同じくらいの時期にインディーズでばりばり活動しているバンドに入ったんですよ。それで、結局大学にあんまり行かなくなっちゃったんですよ。
―お話伺ってると、高校のときからこっち、殆ど学校行ってないですね(笑)。
間違いなくそうですね(笑)。それがWIN FIELDっていうバンドで、当時LIVE STATIONとかCYBERとかによく出ていて。オリジナルをやるバンドとしては最初でしたね。
―WIN FIELDってどれくらい続けてたんですか?
2年くらいですかね。1枚出して解散になっちゃいましたから。みんな一回り近く年上だったんですごく勉強になりましたね。
―若井さんが音楽でやっていこうと思ったのっていつですか?
高校の文化祭のあとですかね。美術の先生に駄目出しされてから。
―例えばね、会社員になるという選択肢は考えたことがない?
全くないですね。それは力強く言えちゃう(笑)。
―WIN FIELDのあとって何をなさってたんですか?
暫くサポートの仕事とかやったあとで、観に行ったり対バンとかしていたTHE POWERNUDEのオーディションをWIN FIELDのベースと一緒に受けて。で、THE POWERNUDEの活動途中に平行して都音が始まったって感じです。
―THE POWERNUDEはどんなスタイルだったんですか?
元アンセムの森川(之雄)さんを中心とした、ROCK'n ROLLとPUNKとへヴィメタルを足して3で割った感じのROCKです。元々凄く大好きなバンドでよく観に行ってました。入ってからは挫折の連続でしたけど。
―それはどうして?
いやもう、レベルが高かったんで。僕なんて始めて間もないぺーぺーのギタリストですから怒られてばかりで。でも、おかげで今のスタイルの核になるものはすべてここで培われたと言えると思います。
―若井さんはずっと年上の方と組んできている感じですか。
年上ばかりですね。同年代がいるのは都音が初めてじゃないですかね。恵まれてたと思います。 
―考えようによってはずっとプレッシャーのかかる場所にいると。
でも、それくらいじゃないと駄目なんじゃないかと思いますね。僕自身、ダメ人間なので。
―THE POWERNUDEはなぜ脱退されたんですか?
バドラムの沢木(優)さんが抜けて、ベースの平田(周資)さんも抜けることになって、「おまえどうする?」って言われたとき、他のメンバーが見つかるまで活動が止まってしまうと今の自分の実力だとやばいと思って。大変申し訳ないですが、今まで培ったものを使って他のことをやって勉強しようかと。1年くらい打ち込みとか作曲の勉強をしてました。
―若井さんが作曲に関わるようになったのはいつ頃ですか?
WIN FIELDの後半あたりから少しずつ関心を持つようになりましたね、ストックとかはあったんですけど。で、コンペに出したりとか。 
―SLIMψSLAMに入られたきっかけはなんですか?
元ブリザードの村上(宏之)さんにある日突然声をかけていただいたんですよね。以前対バンしたことがあって、覚えていてくださって。最初は、仕事もぼちぼち入り始めてたんで、スケジュールを調整しながらって感じだったんですけど。その後、グラフィックや他の仕事等が増えてきて調整が難しくなってきちゃったんですね。それで今年の6月に抜けちゃう形になったんです。実は、また来年くらいから自分のバンドをやってみようかな、なんて漠然と思ってます。時間は掛かるとおもいますが。久々にへヴィメタルというか、自分の持ってるハードな部分を中心に出したいですね。
―都音というのは今までやってらしたものとは随分違いますよね? それは全く別のものをやりたいという意識があったからですか?
それもちょっとありますけど、昔から単純にヘヴィメタル、ハードロックだけしか聴かない訳じゃないし、実際に出てくるメロディも場面ごとに悲喜交々ありますから。クラブ系の音楽やイージーリスニングも聴くし。勿論へヴィメタル、ハードロック的なものも都音には落とし込んでいますけどね。都音のライヴって、結構ご年配の方が多かったりするんですけど、そういう人でも解る音楽というか。例えば、各々の中に情景や感情があってそれを思い浮かべることができるような音楽をやりたかったんですよね。そういう意味では、都音で目指すのは100年たっても変わらない普遍性がある音が理想ですね。
―まあ、ロックというジャンルそのものがまだ50年しか歴史がないですからね。
そう、先のことは判らないですよね。もしかしたら、歳を取ってからこそのへヴィメタルブームっていうのもあるかもしれない(笑)。シルバー世代で一番ポピュラーな音楽はへヴィメタルみたいな。老人ホームでは、朝5:30 ペインキラー 起床(笑)。そしたらその流れに乗って首振ってるかもしれないね(笑)。Rock Will Never Die! って感じでしょう。
―都音は継続してやっていらっしゃる予定ですか?
そうですね、思い浮かぶ情景があるうちは。ミュージシャンとして、願わくばこれっていう1曲を残してから死にたいですからね(笑)。
 


【nzm web】 http://rockstar.jellybean.jp/

interview : t_in


若井望
6月12日生まれ。北海道出身。大学在学中よりWIN FIELD、THE POWERNUDE、SLIMψSLAM等に参加。現在都音及びTHE Queenbee Loversにて活動中。

... Live Infomation ...
12/28
初台 DOORS
... CD Infomation ...
FUZZ!! CD
【玲瓏 reirou】

2005.12.28 Release
3,000yen (TAX IN)
South to North Records


1, 鳳翔 -housyou-
2, 神鳴り -kaminari-
3, 人瞬 -hitotoki-
4, 夜桜 -yozakura-
5, 戦神 -ikusagami-
6, Air Walk
7, 忍 -shinobi-
8, 幻夢 -genmu-
9, 武士 -mononofu-
10, 誓いの海
 
TABOKUN
加納 望
Maggy
曽我将之
Shizuwo
Kouhei
大村孝佳
RYOHEI
太三
YUNA
DAISUKE
築山朋式
RYO
Daizo
長谷志恩
吉田好宏
若井望
澄田啓
榊原秀樹
耕史朗

 

   
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