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ばんびのアンテナに引っかかってきたミュージシャンを、ピンで解剖(紹介とも言う)しようというこのコーナー。
第14回目のゲストはKINGのヴォーカリスト・RYOさん。
ライヴ前の楽屋は、なんだか人懐こい大型犬舎のような和みっぷり。でも愛犬はチワワなの。このギャップがサイコーっす。 |
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―RYOさん関西ですか?
吹田です。万博やってたところの近くですね。 ―って言っても、万博のときはまだ生まれてないでしょ?
まだ生まれてないです(笑)。 ―おうちにはよく帰られます?
実家は月に1回は帰ってますね。ライヴで帰って。ゆっくりはできないですけど、メンバー全員で泊まって。 ―じゃあ、親御さんとの関係は良好ですね。
そうですね。結構応援してもらってます。 ―どういうお子さんだったんですか?
ずっとバレーボールをやってて、キャプテンとかもやってて。バンドなんてやらなさそうなスポーツ少年でした。坊主で。高校2年くらいまでは続けてました。高校のときはバンドと両方やってましたね。軽音部とバレー部と。 ―スポーツ少年が音楽に目覚めたのは何がきっかけですか?
バレーボールってね、サッカーや野球と違って、全くもてなかったんですよ。動機は不純なんですけど、もてたいと思ってバンド始めたんです。文化祭とかでやってるみんなが女の子たちと楽しそうに喋ってるじゃないですか。音楽に入ったのはそういう理由なんです。 |
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―もてたくてバンド始めたって、誰かもててる人を見て思ったんですか。
この人(Junichiro)ですわ。
Junichiro:僕です。
―もててたんですか。
彼もバスケットボール部とかやってたんですけど、男子校でギターとかやってて、女子高と交流があったりして、羨ましいなーと。 ―同じ学校ですか?
いや、僕のほうが少し頭のいい学校で、彼はヤンキー学校です(笑)。 ―でも、昔からのお知り合いなんですよね?
小学校1年のときから同級生です。親より長い付き合いかもしれないですね。親には会ってないですから。彼とは前のバンドLAIDっていうんですけど、そのときから一緒で。 ―じゃあ、最初にイメージしていたモデルがJunichiroさん。
そう、Junichiroに憧れて音楽を始めました。 ―ほお。
で、彼は最初ヴォーカルだったんです。で、彼に習ってベースを弾こうかなと思ったんですけど、僕が引っ越したんですね。大阪から兵庫県に。そのとき車なんて乗ってなくて、スタジオが吹田で、バイクでベースを背負って通うのがいやだったんですよ。で、Junichiroくんに「代わってくれへんかな」って。それだけの理由で代わりました。 ―話作ってない?(笑)
Junichiro:本当です。電話一本で代わりました。
僕は彼の後ろでベースを弾いて、彼のおこぼれを貰おうかなくらいに思ってたんです、最初。ホンマですよ。だから音楽には全然目覚めてなかったですよ。 ―その頃ってどんな音楽やってたんですか。
その頃はLUNA SEAですね。「Believe」とか出してる頃で。あとね、「TO-Y」って漫画知ってます? ―知ってますとも!
ふたりしてあんなん読んで憧れてましたね。ギター弾く前はふたりで箒持って布袋さんのもの真似したり。 ―それ、小学生くらいですか?
中学生くらいのとき。随分幼稚な中学生やな(笑)。「CASE OF BOOWY」っていうビデオがあったんですけど、ふたりしてじーっと観て研究して。 ―じゃあ、ずっとBOOWYとLUNA
SEAのコピーやってたんですか。
あとZIGGY……。高校卒業するまではそれこそ学祭のときだけ集まってる感じでしたね。 ―で、実際バンドやってもてました?
もて……なかったですねえ。僕もてなかったよね?
Junichiro:素質の違いです(笑)。
で、音楽に目覚めはじめたっていうか、音楽って本当に楽しいなって思ったのがほんの3,4年前です。 ―ライヴやってるときは皆さん格好いいですよね。
そう言っていただけると……(泣く真似)。 |
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―言われるでしょう?
言われないですよ。楽しいとは言ってもらえますけど、格好いいとはなかなか。感想聞くと「凄い」とは言われるんですけど、どこがどう凄いかは言ってもらえんのです(笑)。
―パワフルだし、演奏力も高いし。
俺らは基本ガテン系なので、ギラギラしちゃうんですよ(笑)。
―1週間毎日ライヴっていうのは凄いですよね。
1日だけ休みがあったんですけど、そうしたら風邪引いちゃいまして。レコーディングと被ってたんで、治らないままやるしかなくて。
―どうしてそう何かを擲ったようにライヴをするんですか(笑)。
僕も今日気づいたんですけど、これは修行だなと。何の修行かわからないですけど。意味があるかもわからないんですけど。たまたま集中しちゃったんですよね。

―レコーディングは、ワンマンのときに発売する予定で進めてるんですか?
はい、先行発売で。
―計画的なんだか行き当たりばったりなんだかよくわからないですね(笑)。
計画的に進めようと思うと、どっかで歪が生じるんですよね。でも、今回はよかったな。やった感っていうのがそのまま出せたんで。
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―本当にライヴの本数多いですよね。
KINGは多いですね。CDが出てから定期的にライヴを打つのが普通だと思うんですけど、僕らの場合はまだバンド組んで間もなくて、バンドを磨き上げるためにはライヴを数こなすしかないとないというか。みんなそれぞれ活動してきているんで、それを超えるにはライヴの本数でカバーしていくしかないなと思ってて。
―止まらないですよね。
止まると死ぬんですよ。
―回遊魚みたいですね。東名阪のツアーも頻繁に入ってますしね。
継続しないと力にはならないと思うんですよ。2か月に1度は行くようにしてますね。
―KINGにいると体力つきそうですね。
体力つくというか、削られていくというか(笑)。でも、ライヴがしたくてやってるわけですから。
―飽きないですか。
僕が心配してるのは、お客さんが飽きないかなーって(笑)。だから色々工夫するんですよね。同じものばかり見せられへんなって。でも、いつも同じ気持ちでライヴやってるわけじゃないんで。その日その日で一所懸命やってるんで、同じ曲でも違うふうに聴かせられるようなライヴでありたいなと。
―セッションとか入れてきてるのも同じ理由ですか。
セッションは僕の思いつきというか。僕らのイベントなんで、他のバンドさん巻き込んで何か出来ないかなって発言してしまった結果やってるんです。毎回じゃないですけど。KINGと一緒に生きてる人たちは長生きしないと思います(笑)。
―走りっぱなしだから?(笑)
はい。凄い充実はしてるんですけど、時間の流れが速すぎるんですよ。
―RYOさんって29歳でしたっけ。
はい。
―30歳手前にして何か思うことってあります?
若い頃のCDとか聴くと「ぽっ(と恥じらうそぶり)」ってなるんですけど、でも駄目だとかじゃなくて。今このときのこの瞬間だからできることがあるし、歌いたい歌があると思うんですよ。今この状況を高校生のときにやってたら売れてるかっていえばそうじゃないと思うし。例えばオレンジレンジみたいなことは僕らもう出来ないと思うんですよ。でも、彼らが今僕らのような音楽をやれるかっていったら、やっぱ駄目だと思うんですよ。「花」とかいい曲じゃないですか。でも、誰が歌ってもいいという訳じゃない気がするんですよ。やっぱり歌ってる人の重みがないと。
―RYOさんの考える音楽っていうのは等身大であるということですか。
そうですね。成長していけてるかなと。でも、ステージでは気持ち若い感じに思ってます。26,7歳くらいの。それは自分のモチベーションを下げないように。
―でも、26,7歳の頃のほうが逆に迷ったりしてるんじゃないですか。
よくご存じで。   |
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―自分がそうだったんで。
突き抜けた感は今までの中で今がいちばんだと思いますね。これしかやれなかったな、結局って。色々やろうとしたのがその頃だったなと。
―それまではどういう感じだったんですか?
LAIDっていうバンドでずっとやってて、ギタリストが変わったときに、もっと突き詰めなきゃいけない、もっと拘らなきゃいけないっていうのが少し自分の中に目覚めはじめて。というかバンド全体がそういう空気になって。で、そのバンドは解散してしまったんですけど、次に組むときに先ず方向性を考えて、前のバンドと同じことをやっていたら月日が追いつかないって思いました。だから全然違うことを狙おうと。ハードロックをやってたんですけど、一切合財を切って、デジタルっぽいことをやろうかなと思ったのがLYCHEEっていうバンドなんです。それはひとつの形は出来たんですけど、自分の特性を全く生かせなかったなっていうのが正直あるんですよ。そのときに僕の捌け口になったのがKINGというソロなんです。
―じゃあ、並行してやってたんですね。
最後のほうはそうですね。
―こっちに出てきたのっていつですか?
8年前ですね。高校卒業して、暫く大阪で形を作ろうって感じになってやってたんですけど、形にならなくて(笑)。ある日スタジオで「明日東京行こう」って。明日じゃなくても、1週間以内に東京行こうって。「家は俺が探しておくから」って。
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―それはまた性急な。
どうしても東京に来たいなって思う理由があったんで。
ちょうどそのときって、事務所が決まったんですよ。アップフロントエージェンシーってモーニング娘。と同じ事務所で。で、このままこの事務所にいたら変な方向に行ってしまうって思って。そのときにPRESENCEの西川茂さんが僕らをいいなと思ってくれて、引き取ってくらはったんですよ。
―オリジナル作りはじめたのはいつですか?
LAIDを組む直前ですね。1曲できて、俺はこれでメジャーデビューできるって訳のわからない自信がありました。もちろん、行けなかったですけど(笑)。 ―LAIDが終わって、デジロックに行って。その転身は、どうしてでしょう。
LAIDでひとつやりきっちゃったんですよね。終わった理由も、やりきったからという感じで。バンド的な体力も限界に来てたし。なんかこう……最後に作ったアルバムとか凄くよかったんですよ。それを継続的にできないのであればやめようかと。各々が違う活動をしたほうがいいんじゃないかって。 ―かなり前向きな終わり方ですね。
そうですね。 ―デジタルなもので歌うRYOさんってイメージ湧かないんですけど。
でしょう? だから可能性を感じたんですよ、もしかしたらこういうのみんな好きなんじゃないかって。僕的には完全に仕掛けたつもりだったんですよ。一緒にやってたメンバーの前のバンドもそれぞれ千人くらい動員あったし、これで仕掛けたら大きいんじゃないかって。業界的にも受け入れてくれるんじゃないかなとか。そしたら、お互いがお互いのよいところを潰し合ったというか(笑)。。 ―それはどれくらい続いてたんですか?
1年なかったですね。音源のリリースもなかったんで。
―苦しい時期ですね。
はい、いちばん悩んだ時期ですね。ただ、いちばん最後のほうに、全員素になって、全員自分のキャラを出しはじめたんですよ。そうしたらまとまったんですよ。最初からこうやってたら潰し合うこともなかったなと思いました。なので、KINGは全部自分で責任を負おうって。メンバーもサポートでどんどん変わっていくというか。そうしたら上手いこと進んでいくんですよね。そうなってくると音に拘りも持ちたくなってきて、バンドにしたいなって。
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―気負ったところが全然ないですね。
KINGに関しては。それまでは自分でなんとかしなきゃってずっと思ってましたからね。ただ、KINGに関しては、自分がやりたいことをみんなに投げて、皆はやるしかねえってやってくれて。そういうふうにしてまとまってきたところでバンドにしたんで。それがいちばんバンドにとっていいんじゃないかって思ってるんですけど。
ひとつ気負いがあるとすれば、誰かがバンドの道を作らなきゃいけないとするなら、負けたくないなって。音楽は勝ち負けじゃないですけど、若いバンドのために道順を作ってあげたいなとは思いますね。常に上を見ているバンドでありたいなと。
今度O-EASTでワンマンやるんですけど、前のバンドでワンマンやってたようなハコなんですね。KINGでワンマンやって、その記憶を塗り潰したいんですよ。前のバンドって、記憶の中で美化されちゃってるんですよ。それを叩き壊していくようなバンドにしたいんですよ。今って音楽的にも仲間的にもいちばんやりたいようにやれてると思うんですけど。
だから今回赤が出るかもしれないですけど、今やらないとって思ってます。いつも通りの自分たちを見せられればいいかなと思ってますし。
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―KINGを知らない人に何か言うとしたら?
いや、観てない人は可哀相なと思ってますよ。一度観に来てくれれば、楽しいんじゃないかなと。こっちが好きなようにやってるんで、好きなように楽しんでくれれば。曲知らなくても楽しめると思います。 |
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| 【KING Official Website】http://www.samohang.com/king/ |
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