ミュージックウェブマガジンばんび
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ミュージックウェブマガジン "ばんび"は、ジャンルを超えて音楽を楽しみたいと考えるGROOVE SITEです。
ばんびのアンテナに引っかかってきたミュージシャンを、ピンで解剖(紹介とも言う)しようというこのコーナー。
第16回目のゲストは中学生の頃から活動しているシンガー、長谷志恩さん。
渋谷アピアをお借りしてのインタビューは、ほわーんとした空気に満たされた雰囲気。そして相変わらず脱線しまくりのばんび隊。「面白い人ですね」って言われちゃいましたよ。とほー。

その16. 長谷志恩

―志恩さん、3歳からピアノをやってらっしゃるそうで。
そうですね。親父が音楽関係……作曲とかアレンジャーみたいなことやってて。ピアノがあったんですよ。いい環境といえばいい環境でしたね。ギターも触ってましたし。

―ご自分で、どんなお子さんだと思ってました?
自分では普通だと思ってましたが、周りに問題児扱いされてた気がしますね。幼稚園くらいから。今、考えると結構今よりやんちゃな感じでした(笑)。その当時の僕には自然の流れだったんですけどね。

―例えばどんな?
親が吸ってる煙草を真似したくて、折り紙で作った煙草に火をつけてしまって、熱くて投げ出したらカーテンに火が移ってしまって火事になりかけたりとか。ちょいちょいそういうことがあったんで「この子は大丈夫なのか?」って思われちっゃたみたいで。

―周囲のそういう心配って、本人は傷つきますよね。
んー、あと、父親の仕事の関係で、他の友だちの家族とは違なんか違う気がしてて 日曜も平日もなかったですから。良い事もあったけど。

―今はこの言葉使わないですけど、登校拒否。
小学校の2年生にあがるときに、引越しをするって言われて。今思うと離婚したんだと思うんですけど。で、妹と僕と母親の3人で引越しをして。そこから登校拒否っぽいのが始まって。転校したっていうのもあると思うんですけど。

―それは新しい環境に対する反抗心の表れですか、それとも萎縮しちゃったんでしょうか。
両方ちょっとはあったと思いますよ。親の離婚を聞かされてなかったので。朝家を出て、学校に行かずに公園に行って、2時か3時ごろに家に帰って。

―それって長く続いたんですか?
結構長かったんですね。他にも色々あって、凄いヘヴィーになっちゃうんですけど 。

―話したくないことは話さなくていいですよ。
母親があまり家にいなかったっていうのもあったのかもしれないけど色々事件があって、その頃には完全に問題児扱いされてて、暫く校長室に登校してたんですよ。そこで校長
先生や他の先生と話したりして。授業がないので楽といえば楽だったんですけど
、あるとき録音されていることに気づいたんですよ。何するんだろうって。
で、3年の終わりごろに千葉県の養護施設に転校することになったんです。そこは、先生の説明だと喘息とかで普通の学校に通えない、身体的にリスクを負っている人が行くところらしく僕はピンピンしてたので理由がわからなかったです。で転校当日に嫌がって。

―そういうことが続くと、大人に対する不信感が育っちゃいますよね。
そういうのはありますよね。でも僕に問題があったんでしょうけど。学校行かなかったですからね でも学校にちゃんと行こうと思ってたんですけど。学校にいること自体が凄いきつかったんですよ。どーにもこーにもつまんなくて(笑)。それで、結局行かなくて。
おまけに、たまに父親に会って帰ってくると 母親の右ストレートやら今は亡きアンディーフグを思い出させるような 踵落としなどが幼き僕の顔面にきまりまくってまして 当時はそれも意味わからなかったですね。今はわかりますけど(笑)。だから父親に会うとこうなるんだって思って、それからは隠れて会うようになって。

―幼い頃に受けてる愛情が歪だったのかな。
でも、母親は凄い深い愛情を持ってる人なんですよ。江戸っ子ですし、てやんでぇべらぼうぉに頑張りすぎちゃってたのかも。。

―志恩さんが音楽を作りはじめたのはかなり早いですよね。それって、そういった鬱屈を吐き出そうとしてたんですか?
いやいや。そういうのはなかったですよ。ただ、勝手に勘違いで変な自信があって何かやりたかったんですよ。小さい頃って、スティーヴィー.ワンダーとビートルズが流れて
るような家だったんです。やってる音楽は全然違いますけど、スティーヴィー・ワンダーが来日すればコンサートに行ってたし。歌も曲も好きですね。


―エレキギターを小学生で弾いてるっていうのはちょっと吃驚したんですけど、それは何かきっかけがあったんですか?
家にクラッシックギターがあったんですよね。エレキギターが欲しかったんで父親に言ったらどっからか持ってきてくれて。最初はパンク系のコピーとかやってたんですけど、あるとき尾崎豊を弾き語りたくなったんですよ。そんでお年玉とかでアコギ買ったりして。

―凄いメンタリティの小学生ですね、それは。
そのときの僕は、普通と思ってましたけど。今はそういう自分の幼少があんまり好きじゃないんですけど(笑)。へんなやつだなーって思いますよね。未だにそれがいやですねえ。―そこ話すとむず痒くなっちゃう感じ?
Bうん、むず痒くもなっちゃうし、あのくらいの頃の僕が、自分の子どもにいたらいやだろうなって思っちゃう。
―コピーはまだしも、自分で曲作っちゃったのはどういう流れなんでしょう?
弾き語りとかやってたら、満足できない部分が出てきたんですよね。足りない感じがあって、自分で聴きたい曲を自分で作ろうって思ったんです。それも勘違いで。
―それ何歳くらいの頃ですか?
小学校の6年から中学校くらいですね。
―最初に作った曲って、どんな感じのものか覚えてます?
「かくれんぼ」っていう歌で、それが生まれて初めて作った曲かどうかは覚えてないんですけど、その曲をここ(渋谷アピア)のオーディションで歌ったんですよ。中学生のときに。それからは当時ライヴで必ずやる曲のひとつになってましたね。
―どうしてアピアのオーディションを受けようと思ったんですか?
斉藤和義さんのライヴを観に来てたんですよね。それを観に来てて、俺もやろーッて思って。
―凄い行動力ですね。
うん、今と違って。今はあんまり行動力ないんで(笑)。ジャンル問わずライブ見るのが好きで。
―中学生がライヴハウス出ていいの?
どうなんでしょう? いけなくはないと思うんですけど、ここのマスターが面白がってくれて 嬉しかったですね。

―初めて曲を作ってっていう頃から、志恩さん自身に大きな変化ってあります?
そりゃありますよ。歌だけじゃなく、何もかも違うなっていうのはありますけど、曲作ってると、未だにこういうものを作っちゃうっていうのはあります。その小中学生の頃の波乱が大きくて。家族で夜逃げしたこともありますしね。そんで近くの土手に一人でギター弾きに行ったり(笑)。うちは母親が女手ひとつで育ててくれて、その背中を見て育ったっていうのがあるわけですよ 。凄く逞しい人で。

―お話聞いていると、本当にヘヴィーな少年期ですよね。
そうですか? でもその頃はこんなもんなんだと思ってましたけど。あまり一般的じゃな
い環境にあったのかな? ということは大人になって思うことで。でも、どこの家庭にもなにかしら色々事情はあると思いますからね。

―自分の一部でしかないと。
うん、でもそのときの感覚に戻っていることが、曲作ってるとあるんですよね。そこで形成されているものがあるってことなんでしょうけど。僕は基本的にあまり言えないことがないというか、なんでも言い過ぎなんですよ。
―自分の体験を歌にするのが志恩さんの基本ですか?
いや、フィクションとかもいっぱい作ってきてるんですけど、基本的に僕の気持ちにあるものを、経験したことのないものに例えているだけで、結局はノンフィクションなのかな? 実体験おもいっきり作文な曲もいっぱいありますけど。
―出てくる形が違うだけで、核になるものは変わらないってことですね。
そうそう、この気持ちを形にするために、架空の物語を使ったりすることはありますよね。それによって普遍性がだせればなぁとか、そのままもろ個人的でもそれはそれで良いとは思いますけど。あとね、歌を聴いて、百人なら百人のそれぞれ違った人生があると思うんですけど、それぞれその人なりに絵や風景が見えてくれることが理想です。そこは意識しているというか。だから「登校拒否児」って誰もが経験することではないかもしれないけど、全然違った人生、たとえば皆勤賞だった人(笑)にも共感できるような要素は持ち合わせていたいなと思いました。
―学校の何がいやだったんでしょうね。
結局、学校がいやっていうより、人が苦手なんですよね。大勢いるとか。そのころチームワークとか大ッ嫌いでしたし、他の人が人との付き合い方をどうやって学んできたのか知らないですけど、僕は未だによく判らない。距離の取り方とか。僕が近づきすぎると、大抵向こうが引いてっちゃうとか。そういうのが歌に反映されてる部分はありますよね。絶対にこっちの思い入れのほうがいつも強いと勝手に思い込むタイプだし。
―極端な話、浅く広く人付き合いをしていく人と、物凄く濃密な人間関係を築こうとする人といるじゃないですか。志恩さんは完全に後者ですね。
そうかもしれませんね。でも、意識的に浅く広くの付き合いをしようとしたこともあったんですよ。そっちのほうがいいんじゃないかなって思ったりして。何かハジケたい時期があって、20歳くらいの頃に友達といきなりクラブ通いするようになった時期があったんですよ。そのときに雑誌のモデルとかのバイトの話があったりしてちょこちょこやってたんですけど、結局続かなかったですねけどね。そのときは自分がやれることで有名になりたいと思ってたんですよね。
―どうしてそういうふうに考えるようになったんでしょう。
すっげーモテる奴になりたかったんですよ、男女問わず、そんで貧乏だったので母親と妹を助けたいと思ってましたね。その時期の僕は人を見るときに、異性もしくは同性といるというより、ひとりの人間といるって感じなんですよ。性別はそのあとにくるというか。
―その人の属性より個性を先に見ちゃうってことですか。
そう。他の人はどうかわかりませんが、僕は違和感があったんですよね、自分の周りと。元々あったんでしょうけど、特にその頃その意識が強かったんですよ。だから男の人も好きになってました。女性を好きになるのとあんまり変わらない。だから周囲にはヘンな 奴って思われちゃってたでしょうね。
―でも、志恩さんの考え方のほうがナチュラルだと思いますけど。
そうなんだと思うんですけどねー。結構俺 自責の念が強いんですよね。

―未だに?
うん。自分の家庭環境とか親のせいにしている時期もあったんですけど、そのせいにしちゃった自分をやっぱり責めちゃう。
―今年アルバムが出ましたけど、「やっと」っていう感じですか。
レコーディングが1年ぐらいかかったのでやっとですね。
―凄くポジティヴなアルバムと仰ってますが。
昔何かで「前向き前向きにってそれってただ諦めてるだけじゃん」て文章を読んだことがあって そんな感覚に共感できるものがあって 本当の生命力は絶望の極限にある気がして。僕の歌は辛いだのなんだのってネガティブにとらわれがちな曲も確かにあるのですが。子供が生まれる時の絶叫はたぶん悲痛じゃないんじゃないかなぁとか、うまく言えませんが、絶望と希望のパラダイスっす。
―結局音楽に戻ってきたのは何ででしょう。
ある時期に好きな女の子がいて、いちばん自分のいいところを見せようと思ってライヴに呼んだんですよ、アピールしている最中に。そうしたら、そこまで上手くいってたのに、ライヴ観て振られたっていうのがあって。で、「あれー?」って思って(笑)。それで今まで以上に色々考えるようになって。その子にとってはっていう発想がゼロで、こういうことやってちゃ駄目なんだって思っちゃって、音楽そのものは続けてるけど公開できなくなっちゃったんですよ。歌うたってるなんて言えなくなっちゃって。内側のものになっち
ゃった。だから表層的なものと本質的なものを分けてしまおうって。
―それって自分が分裂しちゃう気がしません?
しましたよ。でも、みんなそうやってるんだって思ってましたから。 
―それをもう一回表に出していこうって思えるようになったのはどうして?
そうやって生きてたのが何年かあって。そういう自分を「何やってるんだろう」って思ってたんですよ。それで引き籠もりになっちゃったんです、3年くらい。それまで関わりのあった人とも切れてしまって、出かけるのはコンビニくらいで。お金がなくなっちゃったら日雇いやるくらいで。それでどんどん内側に向かっていってしまって、ライヴ活動もできなかったんです。性格がこんなに変わっちゃうもんかって自分でもびっくりするくらい。曲作りとデモテープ作りはやってたんですけど。
で、いい加減どろどろになってきたときに、どうにかしなきゃって。嫌われることを怖がらずに公開していって、プラマイゼロにしたいなって。で、作ったのがこの「登校拒否児」(笑)なんですよ。全部、人に嫌われるとか好かれるとかまったく関係なく ただ公開しちゃおうみたいな ばらしちゃおうって 貼れるようなたいしたメッキもないのに、一度メッキ全部はがさなくちゃとか思っちゃって。以前は曲を作ってても正直じゃない、綺麗にしちゃってたんですよ。それはそれで良いんですけど その当時の僕には 恥かかないと前進できないみたいのがなんかあって。それで自分の潜在的なものを出すことによって自分自身を解決していかないといけないなって。
―じゃあ、この曲はターニング・ポイントになったわけですね。
そうです。自分の幼い頃を処理したくなって、公開することでそうしたかったんです。結果的に引き籠もったことがよかったんでしょうね。引き籠りの歌も作りましたし、「ヘビーカーテン」っていう(笑)。
―それまで考えすぎちゃってた訳ですよね。それから音楽に対する姿勢も大きく変わってきたんですよね。
うん、でも元々音楽が好きでやっていたことには変わりはないけど。僕の音楽を歌詞って捉える人が多いんですよ。でも僕自身はそうは思ってないんです。歌詞は一部であって、そこだけにスーパー拘っているという訳でもなくて。曲を知らない人が歌詞カードだけを読むのと、歌として聴くのとでは、伝わるものが絶対違うんで。それはやっぱ曲として聴いたときに伝わるものでありたいです。
―ああ、詞の部分ばかりがクローズアップされがちなんですね。
うん、それは仕方ないというのも判るんですけど。
―こ弾き語りでやるのと、バンドでやるのとは意識は違うんですか?
基本的には一緒です。でも、バンドをオリジナルで組んでやるっていうのがここ1年くらいなんです。それまで余り縁がなくて。念願だったんですよね。しかも、そのメンバーっていうのが今回のアルバム「登校拒否児」のレコーディングに参加してくれたベースのSAMONさん(ゲタカルビ)を始め、ギターのHIDETAKAさん(MeTALpiLL)ドラムのモーちゃん(KENZI&THE TRIPS)、と、僕の大好きな人達と一緒にやれてるというのは幸せです。ただね、弾き語りスタイルに拘ってると思われちゃうのもいやなんですよ。一人でやってなんぼみたいなのがあるから弾き語りそのものは大好きだけど、弾き語りミュージシャンって呼ばれるのはいやなんです。でも、そう呼ばれたら「あいよっ!」って答えますけど。(笑)。バンドも弾き語りも歌を唄うということには何も変わりはないと思うから、これからも弾き語りとバンドと贅沢にやっていきたいです。
 
 


[ 長谷志恩 Official Site ] http://www.apia-net.com/shion/

interview : t_in


長谷志恩
東京都出身。11歳からオリジナルを作りはじめ、今年5月アルバム「登校拒否児」を発表。

... Live Infomation ...
9/22(木)
渋谷apia
9/29(木)
吉祥寺曼荼羅
10/15(土)
代官山NOMAD
10/18(火)
新宿NAKED-LOFT
10/26(水)
渋谷apia
10/31(月)
吉祥寺MANDA-LA2
... CD Infomation ...
FUZZ!! CD
【登校拒否児】

05.05.22 Release
2300yen (TAX IN)
ペルメージ・レコード
PMF-121
01.登校拒否児 
02.Fine
03.ひつじ
04.ユリと林檎
05.Silver Bracelet 
06.普通の空
07.ピンクのリボン
08.My Life Once Again
09.一片の雫
10.僕との約束
11.心
 
TABOKUN
加納 望
Maggy
曽我将之
Shizuwo
Kouhei
大村孝佳
RYOHEI
太三
YUNA
DAISUKE
築山朋式
RYO
Daizo
長谷志恩
吉田好宏
若井望
澄田啓
榊原秀樹
耕史朗

 

   
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