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―それは新しい環境に対する反抗心の表れですか、それとも萎縮しちゃったんでしょうか。
両方ちょっとはあったと思いますよ。親の離婚を聞かされてなかったので。朝家を出て、学校に行かずに公園に行って、2時か3時ごろに家に帰って。

―それって長く続いたんですか?
結構長かったんですね。他にも色々あって、凄いヘヴィーになっちゃうんですけど
。

―話したくないことは話さなくていいですよ。
母親があまり家にいなかったっていうのもあったのかもしれないけど色々事件があって、その頃には完全に問題児扱いされてて、暫く校長室に登校してたんですよ。そこで校長
先生や他の先生と話したりして。授業がないので楽といえば楽だったんですけど
、あるとき録音されていることに気づいたんですよ。何するんだろうって。
で、3年の終わりごろに千葉県の養護施設に転校することになったんです。そこは、先生の説明だと喘息とかで普通の学校に通えない、身体的にリスクを負っている人が行くところらしく僕はピンピンしてたので理由がわからなかったです。で転校当日に嫌がって。

―そういうことが続くと、大人に対する不信感が育っちゃいますよね。
そういうのはありますよね。でも僕に問題があったんでしょうけど。学校行かなかったですからね でも学校にちゃんと行こうと思ってたんですけど。学校にいること自体が凄いきつかったんですよ。どーにもこーにもつまんなくて(笑)。それで、結局行かなくて。
おまけに、たまに父親に会って帰ってくると 母親の右ストレートやら今は亡きアンディーフグを思い出させるような 踵落としなどが幼き僕の顔面にきまりまくってまして 当時はそれも意味わからなかったですね。今はわかりますけど(笑)。だから父親に会うとこうなるんだって思って、それからは隠れて会うようになって。

―幼い頃に受けてる愛情が歪だったのかな。
でも、母親は凄い深い愛情を持ってる人なんですよ。江戸っ子ですし、てやんでぇべらぼうぉに頑張りすぎちゃってたのかも。。

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