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つけるのにはいちばん身近だったんで。わかりやすかったから。 ―どんなミュージシャンが好きでした?
マイケル・シェンカーが僕の中のギターの神様の一人で。最初の音楽の出合いまで遡ると、ピアノをやってたってことがあるからクラシックになるのかな。
親父がクラシック好きで聴いてたのと、カントリー&ウエスタンとかハワイアンもやってたりして。だから自分もクラシックギターもやってたし、音楽に触れるのが自然ではあったんだと思いますね。

―そんな環境の中で、何故にマイケル・シェンカーに出会ってしまったか謎ですわ。
ヘヴィメタルブームってあったでしょう、80年代の。それのちょっと前にレインボーとかが日本で売れはじめてて、ツレと聴くようになって、じゃエレキやろうよって話になったのが、高校生頃。その時期にマイケル・シェンカーグループが出てきて、聴き比べたらマイケル・シェンカーのほうがかっこいいなと思って、そっち聴くようになって。ギターのコピーもマイケル・シェンカーでがんばりましたよ。今の俺のフレーズはほとんどそれで構築されてますからね(笑)。
で、近所のちょっと楽器できる奴集めて、どんなトコかわかんないなりにスタジオも入って。
―ライブハウスデビューもその頃ですか。
それはもっと後ですねー、今みたいに気軽なもんじゃなかったんで。
―じゃ文化祭とかのステージがバンドの初舞台?
文化祭はねー……いやな思い出なんですよ。うちの高校は学園祭でバンド活動一切ダメだったんです。高2の時に「来年バンドできるようにしよう」って。
で、俺とかバンドやってる連中集めて生徒会に立候補して、会長だけは先生のお気に入りの優等生担ぎ出して、周りをバンド系で固めて。
おかげでできるようにはなったんだけど、先生がオーディションをやって3バンドだけ選ぶと。だけど結果的には2バンドしか選ばれなかった。ウチのバンドは絶対! いちばんうまかったのに……あの……いろいろと行儀の悪い子ばっか集まってたんで、そっち方面で落とされてしまったという(笑)。
―その高校生バンドを卒業して始めたのが、モンローですか? 静岡テレビが追っかけ取材をしたという(笑)。
そうですね、あんまりはっきり覚えてないんですけど、20歳前位に始めたんだと思いますね。モンローは人気……ありましたねぇ。……ありましたねっていうか、たぶん作りだしたんですよ、それは。ツアーといっても静岡県内で、後半にやっと東京でできるようになったくらいだから。
で、次のSTRってバンドから、ラママとかシェルターでかなりいい感じでやらせてもらってた。STRはメンツだけ見たら絶対上に行きそうな実力のある人たちがいるなと思ってたんですよ、ま、俺以外の人達を見て。でもそういうのだけでは行けないんだろうなっていうのは、モンローの後期から徐々にわかりはじめてきてた。
―そういえば、モンローとSTRのヴォーカルさんは同じ方ですよね。
うん、腐れ縁っていうか。別のバンドをやってても、いいボーカルいねぇなって思うと知らないうちにまた一緒にやってたりとかするんですよ(笑)。
―モンローではヤマハのコンテストに出て、なんと個人賞受賞、と。
そう……ですね、貰いましたね(笑)、ベストギタリスト賞っていうの。何をもってベストだと思ったのかわかんないけど。

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