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橘高文彦  ( X.Y.Z.→A /ex.筋肉少女帯 )
Interview 2/2   From now go on  (現在、そしてさらなる先へ)
 
インタビュー後半はAROUGEでのデビューから筋肉少女帯、X.Y.Z.→Aへと続く音楽活動について。
 AROUGE

デビューへのきっかけって何だったんでしょう?

YAMAHAのEAST WESTってコンテストに出てて、2年連続で決勝まで行ったの。そのときにデビューのときのマネジメントの社長が見に来てたっていうのがひとつ。そのマネジメントが浜田麻里さんをデビューさせたんですけど、そのときにバックバンドを募集しているという記事が雑誌に載ってて、僕らは最初はバックバンドからコネクションを作っていこうかって画策してたんで資料を送って。一応オーディションに応募という形だったんだけど、さっきも言ったようにEAST WESTを見に来てた社長が気に入ってくれていて、ビクターとの契約になったというのが流れですね。

―それは高校生が考えるレベルの話ではないような。

そうですね、凄い戦略家でしたね、確かに(笑)。でも、今その頃のエネルギーがあるのかって考えると、「持たなきゃ」って思うくらいだから。それだけ辛かったんでしょうね、大阪での引きこもり期間が。あと親に申し訳ないという気持ちがあった。100%自分が決めたことだったら、予想と違うって人にあたれないじゃないですか。やっぱ、中学のときの失敗っていうのは、「親を喜ばせてやろう」みたいな、「誰かのために」ってやってたからだと思うから。だったら、自分のやりたいことのために戦略を考えようって。好きでしたね、そういうこと(笑)。

―ちょうどその頃は、所謂ジャパメタ・ブームですよね。

僕が高一のときにラウドネスがデビューしたのかな。で、次の年くらいから関西でのジャパメタ・ブームがあって44マグナムやアースシェイカーが出てきて。LOFTに観に行きましたよ。ヘッドバンギングして(笑)。

―そういうムーブメントが来ていたというのも、戦略家・橘高さんにとってはいいことだったわけですよね。

そうそう。そういうこと考える質だから。好きなジャンルが、日本ではまだマーケットがなかったものが出てきたって。いい風が来てるなと思って。まさかそれが何年かで終わるものだとは思ってなかったけど、是非ともここで出たいって。ライヴハウスに出て地道にやっていくということが王道だと思っていたから勿論やってはいたけれども、資料を色んなマネジメントに送ったりしてたし。

―デビューが決まった時点で、進学はナシなんですか。

進学してもいいんだけどね(笑)。もう高校の最後のほうはほとんど行ってなかった。一応クラブ活動は高校でもやっていて、音楽部っていうのに所属してたんだけど、伝説の主将で。

―いないことで(笑)。

うん(笑)。たまに行くと、先生も見に来て「橘高、おまえはギターを弾いてるときは輝いてるんだな」って(笑)。出席しないお咎めもなく(笑)。

―大学進学をやめてしまうことで、退路を断ってしまおうと思ったとか?

いや、そんな偉そうなこと思ってない(笑)。要は親を安心させたくて行った付属校だから、高校時代のうちに就職先を決めてしまえば、親には自分の人生を提示できるからいいやって思ったんです。

―AROUGEって、ジャパメタ・ブームの中で出てきて、若くて。ジャパメタのアイドル系みたいな扱いはあったんですか?


当時、ライブハウスに出てたときも、他のバンドのお客さんってみんな年上なわけですよ。で、「お、ジャニーズ・メタルじゃん」って(笑)。ばかにした笑いじゃなくて、今思えば発表会見てるような感じだったのかもしれないけど。でも、それは逆にチャンスだと思ってたんですよ。で、意識しすぎて軟派になってたきらいはありましたけど、反省する部分では。「愛してナイト」って漫画が流行ってたんですよ。知ってます?
―多田かおるさんですね。

あのバンドのモデルっていうのは、マグナムだったりアースシェイカーとかですけど、彼らはもっとストリートな感じだったじゃないですか。で、所謂少女漫画的なバンドにすればデビュー出来るかなっていうのも考えてたんですよ。年齢も若いし。プロモーション的にも、明星とか平凡に載れるようなへヴィメタル・バンドになろうと。逆に言うとそこしか居場所がなかったんですよね。先輩たちのほうがギターも巧いわけだし、彼らのようなハードなことも出来なかったし。僕はやっぱりルーツがKISSだから、今でもそうなんだけど様式美的なことをやってもサビがキャッチーだったりするんで。で、AROUGEは僕がやってきた中で、キャッチーな部分が突出してたバンドだったんで。そこのポジションを狙ってたわけだし。

―でも、結果的には続かなかった。

うん、やっぱりハードロックの世界は、そういうのを毛嫌いしますからね。

―AROUGEの解散はやはりセールス的な問題ですか。

うん、売れてたら続いてた。だから僕らはハードロック・ファンではなくて、一般のファン、例えば後でいえばBOOWYとかGLAYみたいに、コアでないところに売れていけなかったらやっていけないだろうなというのは判ってた。王道を求めている人には反感買ってたし。

―AROUGEが続かなくなっちゃったときというのは、橘高さんにしてみれば折角決まった就職先がチャラになっちゃった感じですか。

そうですね。そのときはきつかったですね。(デビューを)ゴールだと思う気持ちはなかったんだけど、でもやっぱり中学のときと同じ失敗をしちゃった。少し安心しちゃったんですよね。ちょうど他のメンバーが就職の時期で、そこでけじめつけようかっていう話になって、やめるといったのがふたり。で、俺と晃士は続けるって。晃士とは「AROUGEっていうバンドはなくなるけど、"元AROUGEの"って言われるように、その後のキャリアを頑張ろうぜって話した。口惜しかったからね。


 筋肉少女帯

―筋肉少女帯に入られるまでは何をしていらしたんですか?

今思えばシフトチェンジする期間だったかな。次はムーブメントに左右されないようになろうと思って。プレイもそうだし、楽曲もね。バンドも組んだりしたりしたんだけど、壺焼き職人みたいになっちゃって、作っては壊しみたいな感じで、ライヴ1回もやらなかったり。そんなときに大槻から誘いの電話があって、筋少に入ったんだけど。

―筋肉少女帯のナゴム時代とかを考えると、橘高さんが入った理由が全然判らないんですけど。

そうだよね。要は筋少ってのは俺の同級生で、EAST WESTの地区予選でよく一緒になってたんですよ。奴らは、後のナゴムのムーブメントを作ろうとしていた連中で、生き方が違うなって思ってた。カウンター・カルチャーな存在というか。だから、なんでなのか俺も理解できなかったんだけどね、その頃は(笑)。
デビュー前に筋少にキーボードの三柴(理)くんが入って音楽的に卓越してきたのと、内田(雄一郎)がプログレが好きで、演奏的に切磋琢磨しないとできない状況になってきたのね。大槻というキャラクターを活かすためには音楽的に高度でないとって気づいたんだろうね。

―所謂「ヘタウマ」では限界があるってことですね。

うん。まあ、筋少はコミックバンド扱いされたし。どう思ってくれてもいいんだけど、昔からコミックバンドって無茶苦茶演奏巧いじゃない。

―ドリフターズとかそうですね。
そうそう、正に。だから楽器に関しては中途半端にならないようにしていたんでしょうね。誤解を受けやすいことをやっているわけだから。
ギタリストって、大抵バンドリーダーみたいな存在じゃないですか。だから、筋少みたいなバンドがいいギター引き抜けるわけないんですよ、高校生くらいじゃ。だから、筋少って本当にギタリストに恵まれないバンドでね、俺が13人目だったから(笑)。

―AROUGEのときから橘高さんはサウンド・プロデュースをしていらしたわけですよね。筋少に加入して、サウンドに関わるというのはどういう感じだったんでしょう。

最初はやってないですよ。俺が加入したのは、ギタリストとして入って楽しめるかなと思ったのがひとつの理由。AROUGEのときから、世の中にないものを創りたいと思っているし、俺は自分のことをバンド・ギタリストだと思ってるから、俺のコピー人間を侍らせたバンドなんてやりたくないわけ。だから化学反応を見てみたいって思ったんだよね。
だから最初は身を任せて。筋少っていうのは、プロデュースっていうのはそれぞれがやってる感じで。結果として、ミクスチャー・ロックの先駆けみたいになったけど。

―実際10年いらしたわけですが、10年いると思ってましたか?

ないないない。毎回アルバム出るたびに「これで終わるのか?」って思ってた。自分たちで言うのもなんだけど、このテのバンドが世の中で長生きするのは変だと思ってたから(笑)。カウンター・カルチャー的バンドなわけだから。売れていくとどんどんメイン・ストリームに行っちゃうでしょ? それはないだろうって。元々「成り上がってやるぜ!」みたいなバンドじゃないから。

―橘高さんは途中で脱退ということになるんですか?

えーとね、今は俺と大槻が筋少を脱けていることになるんです。1998年に、先ず活動休止したんですよ。で、その間に俺はX.Y.Z.→Aを結成して、大槻は特撮を結成して、その段階ではまだ休止だったんです。でも、その段階で色々問題があって、俺が先ず抜けて、大槻が抜けて、内田と本城(聡章)が筋少という看板を持ってて今に至るんです。解散はしてないんです(笑)。だから世間的な意味での解散というところまではいましたよ。

―筋少と並行してソロ活動もやってらっしゃいますよね。

筋少の間はそんなにやってないんですよ。2年間活動休止してたから、その間俺と大槻がソロ活動をしていたっていう。だから俺もEuphoriaっていうアルバムを作っただけで。後期の筋少では、俺はサウンド・プロデュースもやってたから、そんな余裕もなかったし。
だからね、俺以降の筋少のギタリストはまだ入ってないです(笑)。13人目で止まってる。俺が入るときに「俺以降にギタリスト入れるんなら、解散させてやる」って言ってたから(笑)。

―筋肉少女帯というのは、かなりユニークな成り立ち方をしているバンドですね。

うん、それぞれが得意技を持ったゴレンジャーみたいなもんで、強引にそういうものを集めちゃった感じはありますよね。

―客層が凄かったですよね。

うん。例えばスタンディングでやると、俺の前、大槻の前、本城の前ってのが線で分けられるくらい、お客さんのファッションから人生まで違ってた(笑)。でも、それを俯瞰で捉えて、それが筋少だったんだよね。客席を見てると自分たちがどういうバンドなのか判るっていうね。

 
橘高文彦
12月27日生まれ。大阪府出身。
1984年AROUGEにてメジャーデビュー。その後89年筋肉少女帯に加入。現在はX.Y.Z.→Aにて活動中。

X.Y.Z→A
Vo: 二井原実
Gr: 橘高文彦
Ba: 和佐田達彦
Ds: .ファンキー末吉


Live Information
大槻ケンヂと橘高文彦
「踊る赤ちゃん人間」発売記念 ザ・仲直り! 〜そしてその後の展開は?〜?ゲストあり

7月22日(土)
LIQUIDROOM ebisu
http://www.wildland.co.jp/
kitsutaka/detail.html



CD Information
NEVER ENDING STORY
2005.1.16 Release
ASIN: B00074C5CK
3000yen(tax in)
1. EUPHORIA
2. NEVER ENDING STORY
3. 指
4. AMBITION
5. 影法師
6. FIND MY LIFE
7. 傀儡のワルツ
8. DESTINYをぶん殴れ
9. DREAM CASTEL
10. GONE CRAZY
11. FALCON
12. THANK YOU

X.Y.Z.→Alive
2004.2.4 release
ASIN: B00013F6Y6
3800yen(tax in)
DISC1
1.MIRACLE
2.STAND UP FOR YOUR BELIEF
3.LABYRINTH
4.SO BAD!BIG TIME!
5.FASTER!HARDER!LOUDER!DEEPER!
6.PURE
7.真実はどこにある
8.TOMORROW
9.SEARCHING FOR REALITY
10.PROMISED LAND
11.MIDNIGHT TRAIN
DISC2
1.I PROMISE YOU
2.SHINE YOUR LOVING LIGHT ON ME
3.NEVER SAY DIE
4.READY FOR THUNDER
5.HEY!D.J.
6.GO ON!
7.ASIAN TYPHOON
8.生きるとは何だ
9.WHY DON’T YA ROCK AND ROLL
10.DON’T LET THE SUN GO DOWN
   
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