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橘高文彦  ( X.Y.Z.→A /ex.筋肉少女帯 )

Interview 1/2   Crossroad of 27  (27歳の岐路)
 
話の筋道がはっきりした人である。おそらく、何度も自分と対峙して、自分と語り合って、その"道"を明確にしてきたのだろうと思う。
インタビュー前半は少年時代から不登校という挫折を経ての上京、AROUGEの前身にあたるスリージー・ラスター結成までをお送りする。

 少年時代

AROUGEは今聴くと「若いなあ」という感じはしますが、古さは感じないですよね。

ああ、それは確信的なものがあったんだけど、当時から時代性を取り入れないようにはしてたのね。時代を取り入れて、ずっとその先端を歩いていくアーティストもいるんだけど、俺が目指しているものっていうのは、ハードロックのエヴァーグリーンになりたかったの。その当時流行っている音というのは、2年後に聴くともう凄い恥ずかしいでしょ。だから流行を取り入れない、永遠に生き続けるものを創りたいっていうテーマがあったんで。オーソドックスになっちゃうところをどうするかっていうのが、いつも悩みだったんだけどね。

―そういうふうに考えるようになったのは、いつ頃からですか?

んー、子どもの頃からかもしれない。ピアノをやってたんで、クラッシックの作曲家、バッハとか、そういう人たちは何百年経っても、練習で弾いたり、スコアが売ってたり、スタンダードになってたりするわけでしょ。誰もが知ってるっていうことは、何百年もチャートに残っているようなものでしょ。だから、音楽やるんだったら、そういうふうになりたいなっていうのはずっとあったかもしれない。

―橘高さんは大阪のご出身ですよね。

そう、枚方市。小学校の頃まではそこにいましたね。

―住宅街ですか。

新興住宅地だったのかな。でも住んでいたのはちょっと奥まったほうで、ローカルな話しちゃうと香里園っていう京阪電車の駅か、枚方市駅から、どっちからもバスで30分くらいかかるところだったんですよ。昔ながらのおじいちゃんがいるというようなところではなかったから、あの頃のニュー・ファミリーっていうのが住んでいるようなところだったんでしょうね。

―お子さんの頃って、どういう感じだったんでしょう。

4歳上の兄がいて、兄の影響大でしたね。今でも憶えてるのが、幼稚園まで非常に内向的だったのを憶えてる。自分からいい子になっちゃうような子どもだったんだよね。大人の目を気にしていたというか。先生に迷惑かけちゃいけないと思ってたし、それこそ床屋さんに行って「買いもの行ってくるからじっとしてなさい」って母親に言われて、30分後に戻ってきたらそこから本当にじっと動かないでいたり。本当に気ぃ遣いの子どもだったんだよね。

―どうしてそこまで頑張っちゃったんでしょうね

んー、親に褒められたかったんじゃないかな。

―お兄さんはどうだったんですか?

兄貴は長男だからか。俺よりは自由に生きてるんだろうなって思ってましたね。ちょうど父親が脱サラをした家で、共働きだったから、あんまりべったりいられなかったんですよね。だからいい子に振る舞おうとしていたのを凄く憶えてる。でね、ある日幼稚園でひとりブランコに乗ってたんですよ。男友だちとやんちゃに騒ぐこともせず。そのときの先生に、今でも感謝してるんだけど「もっと自由にしていいんだよ。お砂場行って暴れてもいいし、友だちと喧嘩したっていいんだよ」って言われて。で、急に世界が変わって。ブランコから砂場までだーっと走っていって、暴れたの憶えてる。だから、遊びたかったんでしょうね、そうやってみんなと。それからは凄く外向的になって。

―嫌われたくない大人のひとりである先生に許されてるっていう感じがしたんでしょうね。

そうそう。僕は先生に嫌われたくないからいい子にしていようと思ってたんだけど、先生はそれを望んでないんだなって思った、その日のことはよく憶えてますね。自分が解放された記念日みたいな感じで(笑)。その日がなかったら、ギタリストになってなかったかもしれないって思うね。ギタリストになりたいって発言することもなかったかもしれない。「そんな、ギターなんて」って言われるだろうなって思っただろうし。そのおかげで、幸か不幸か今こうやっている訳ですよ。先生の名前はさすがに幼稚園だから憶えてないけど。

―目に浮かぶようなシーンですね、それは。

うん、今でも映像として記憶に残ってる。ブランコまではちょっと灰色がかってるんだけど、その瞬間から視界がカラーに変わったんだよね。。

―じゃあ、そのあとはもう。

うん、やんちゃだった。関西特有の調子乗りの。通信簿に「落ち着きなさい」って毎回書かれてた(笑)。関西では、調子に乗って面白いことやって、吉本興業に入るか、阪神タイガースに入るかが、子どもの2大将来の夢だったから。ま、そこを目指してたんですけど(笑)。授業を邪魔して笑いを取ったり、ちょっと悪いこと煽動したり。

―そういう橘高さんが音楽に触れるきっかけってなんだったんでしょう。

元々、幼稚園のときから英語とピアノをやってたんですよ。で、ピアノは3、4年生くらいまでやってたんだけど、大嫌いだったんですよ。先生が3人換わって。で、その音名の呼び方が3人とも違ったんですよ。慣れた頃に先生が替わるっていう。いちばん最後の先生がエリート教育指向の人で、それが苦痛で苦痛で親に「やめたい」って。親がよかれと思ってやっていることだから、言うの勇気要ったんですけどね。才能があるって結構言われてて、それで親もその気になっているところがあったから、最後の先生のところに行くことになったのかもしれないんですけどね。で、やめさせてもらって。楽器というものに興味もなかったんですけど、音楽は好きだったんですよ。聴いたり歌ったりするのが。
そんなときに、家に親父のガッドギターが置いてあって。それをジャンジャカかき鳴らして。ピアノをやってたときは全然興味がなかったんだけど。その頃にちょうどニューミュージックがジャンルとして出てきて。決定的になったのがKISSの来日ですね。僕が5年生のとき。

―KISSに触れたきっかけってTVですか?

報道でしょうね。大阪でもライヴやったから。僕は見てなかったんですけど、同級生が前の日に来日のニュースを見ていて、KISSの似顔絵を描いてたんですよね。で、「なんや、それ?」「KISSや」って。でKISSって何だって聞いたんだけど、その子もよく判ってないんですよね。だから、僕ら子どもにしたら、プロレスラーなのかロックバンドなのか判らないんですよ(笑)。その絵だけで凄いイマジネーションが湧いちゃって、実物の写真見るより先に、僕も真似て漫画描いていたくらいで。それで、これは何だろうって、自分からロックを追い求めていったんですよね。当時のMUSIC LIFE見たり、レコード屋さんに行ったりして。でね、KISSのアルバムって、3枚目まではジャケットが写真なんだけど、4枚目以降がイラストだったんですよ、アメコミ調の。それで、親におねだりして買ってもらったんですよね、レコードを。レコードって、今とたいして値段変わらないもんね。で、中を開けたらライヴ写真で、「あ、ギターだ。これは俺がたまに弾いているものとそう遠くはないだろう」って。じゃあ、ギター弾いてみようかなって。

―じゃあ、小学生の頃からギターを弾いていらしたんですね。

そう。で、すべてが重なるんですけど、ちょうど小学校に必修のクラブがあって、5年生の前期はサッカーやってたんですけど、後期になると寒いから屋内に行きたいじゃないですか(笑)。TVでも、音楽番組ってビッグバンドでしたよね。生演奏で。それでギタークラブっていうのがあって、音楽の先生がやってたんですよ。クラブに入るのにはギターが家にあることが条件だったんですけど、家にあるなって。じゃあ入れるなと。あとね、音楽の先生がちょっと好きだったんだよねー(笑)。

―綺麗な先生だったんですか。

んー、綺麗というより、なんか色っぽかったんだよなー、今思えば。そういう異性に対する関心もちょうど芽生える時期だったんでしょうね。まだ若い先生だったし。

―橘高さんは、KISSのルックスから入っていったんですね。

そうです。音も聴いたこともなかった訳だし。だからびっくりしましたよね。邦題が「地獄のロック・ファイヤー」っていうアルバムのプロモーション・ツアーで来日してたんですよね、そのときって。そうしたら、そのアルバムがアコースティックギターから始まるんですよ。静かに始まったところに、お約束でどーんって来るんですよ。その瞬間にびっくりして。ヘッドフォンで聴いてたんだけど、倒れるかと思うくらいで。でもそれがね、快感だったんですよね。何かを壊されましたね、自分の中の。それが忘れられなくて、自分で曲書いているときも静かなところにだーん! って入れるものが意外と多いんですよ(笑)。

―お話伺ってると、のびのびした小学生という感じですけど、受験生だったんですよね?

そう、母親が教育熱心で。学業は結構真面目にやっていたんですよ。塾にも通ってたしね。で、兄貴が4歳上なんですけど、ちょうど慶應高校に行ったんですよ。兄貴は勉強が好きだったみたいなんですよね、ゲーム感覚で。そういうのを見ていたんで、受験するのが当たり前くらいに思っていて。小学校6年のときは毎日京都の丹波橋ってところまで塾に通ってましたからね。だから受験生でもあったんですよね。



 
橘高文彦
12月27日生まれ。大阪府出身。
1984年AROUGEにてメジャーデビュー。その後89年筋肉少女帯に加入。現在はX.Y.Z.→Aにて活動中。

X.Y.Z.→A
Vo: 二井原実
Gr: 橘高文彦
Ba: 和佐田達彦
Ds: .ファンキー末吉



CD Information
NEVER ENDING STORY
2005.1.16 Release
ASIN: B00074C5CK
3000yen(tax in)
1. EUPHORIA
2. NEVER ENDING STORY
3. 指
4. AMBITION
5. 影法師
6. FIND MY LIFE
7. 傀儡のワルツ
8. DESTINYをぶん殴れ
9. DREAM CASTEL
10. GONE CRAZY
11. FALCON
12. THANK YOU

X.Y.Z.→Alive
2004.2.4 release
ASIN: B00013F6Y6
3800yen(tax in)
DISC1
1.MIRACLE
2.STAND UP FOR YOUR BELIEF
3.LABYRINTH
4.SO BAD!BIG TIME!
5.FASTER!HARDER!LOUDER!DEEPER!
6.PURE
7.真実はどこにある
8.TOMORROW
9.SEARCHING FOR REALITY
10.PROMISED LAND
11.MIDNIGHT TRAIN
DISC2
1.I PROMISE YOU
2.SHINE YOUR LOVING LIGHT ON ME
3.NEVER SAY DIE
4.READY FOR THUNDER
5.HEY!D.J.
6.GO ON!
7.ASIAN TYPHOON
8.生きるとは何だ
9.WHY DON’T YA ROCK AND ROLL
10.DON’T LET THE SUN GO DOWN
   
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