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―X.Y.Z.→Aを結成したきっかけって何なんでしょうか。
98年に筋少が活動停止して、その頃爆風スランプ、SLYも活動休止して、それがクロスしたの。二井原(実)さんがソロアルバムを出したいって(ファンキー)末吉さんに相談していて、で、俺の筋少活動停止後のマネジメントが二井原さんと同じだったの。それでギタリスト探してるから手伝わないかって話になって。だから最初は二井原実ソロ・ワークスのお手伝いみたいな感じだった。でもスタジオに入ったら凄いシンパシーがあったし、「これはやっぱりバンドじゃないか?」って本人も言うし。俺はそれを二井原さんに決めてほしかったのね。もしバンドとしてやるのであれば、俺も徹底的にバンドのメンバーとしてエゴも出すし、俺の方法論でプロデュースもするからって。そうしたら「バンドにしよう」って。だからX.Y.Z.→Aはバンドとしてやっているし、これも俺のままなんだよね。そうしないとバンドじゃないと思ってるから。
―X.Y.Z.→Aというのは、今までの中で音楽的にはいちばんストイックな感じがしますが。
そうだね。ハードロックの俺の部分だよね。ワールド・ワイドなことをやっているから、自分の中で。筋少は日本人であることを凄く意識していたから、俺は自分を外タレへヴィメタルみたいに位置づけてたのね。X.Y.Z.→Aを始めたときに俺は黒髪に戻してるんだけど、それはこのバンドが、今でも海外でリリースしてるけど、金髪だと恥ずかしいから(笑)。筋少のときは筋少の中でのへヴィメタルなイメージだったけど、X.Y.Z.→Aのときは黒髪でストレートにして、西洋の人が羨む髪に戻したかったの(笑)。まあ、向こうのお姉ちゃんにモテたかったし(笑)。今はまあ、金髪のほうがいいっていう声もあるし、好きだから。
―橘高さんはバンドを組むと長いスパンで活動していらっしゃいますよね。
うん、だってバンドを組むとき、死ぬまでひとつのバンドでやりたかったから。AROUGEのまま売れてストーンズのようになって、フレディ・マーキュリーのようにバンドが継続しているまま死ぬのが夢でしたから。僕は徹底して何かひとつの職人になりたかったから。ただ、こっちがそう思っていても、そうはいかないこともあるし。「継続は売り上げなり」っていうのがね、俺が最初に教訓として教えてもらったもんなんで(笑)。
だから続けられる限りは続けたいですね、バンドは。だって、最初に惚れた相手は嫌いにならないですもん。そこに感じ入って集まってやっているわけで、途中で万が一仲違いがあったとしても、尊敬心は一生変わらないわけだから。だから俺は未だに筋少は出来ると思ってるし。
―じゃあ、企画的なものであっても筋肉少女帯をやりましょうという話があったら。
やるかもね。脱退して活動休止になって、半年後にやりましょうって話になったら、それは勘弁してよって思っただろうけど、もう筋少も8年経っているし。活動休止するときにメンバーとも話したんだけど、それぞれ別の人生を歩んでそれぞれが独り立ちして、歳食ってまた一緒にやれたら素敵だねとは言ってたの。
―お話伺っていて思うんですけど、橘高さんは常に大人の視点ですね。
ああ、それは自分自身がが落胆したくないから、そう思うようにしてるのかもしれないね、子どもの頃から。先に予防線を張っておく癖があるね。
―バンドという単位の中でも、いちばん大人の視点を持とうという姿勢が感じられるというか。
そういう役割が多かったからね。パブリック・イメージはメタル野郎なんだけど、実際はそういうところがあったかもしれない。
―筋肉少女帯の橘高さんのイメージというのは、様式を追求したいのに心ならずもコミカルなバンドにっていう……
そう思ってほしかった(笑)。それが生活感のなさであり、自分の心を読まれ切れないようにしようという姿勢の表れであり。「ばかだからわかんなーい」っていうふうに取られたかったし。うだうだ戦略を立ててるなんて、今だから言うけど、20代の頃は厭だもん、そういうキャラだと思われるのが(笑)。衝動的な人間だと思われたかったし、そういうふうに見られることに憧れてたし。そういうパブリック・イメージを作り上げることに、凄くエネルギーを使ってたかもしれない。
―もしかするとこの人は、可哀相な塔の中のお姫様のような存在ではないかと思っていました(笑)。
うん、そういうこともよく言われた(笑)。あとは「抜けるに抜けられなくなったんじゃないか」とか筋少の中期以降は言われたり。「橘高もやりたいことをやればいいのに」ってよくライターさんにも言われてた。「いや、俺やりたいことやってるんだけどなー」って。
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