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柴山さんがご自身のサイトで連載しているもの(“菊”のブルース)を拝見していて思ったんですが、あの熱気というのは、時代的なものなんでしょうか。それとも博多という「場」の持つものなんでしょうか。
時代的なものだと思うよ。単に音楽が好きな奴らが集まって、ああいう熱気を生み出してたんだと思う。殆どが辞めちゃったけどね。今みたいにレコードを出すためにバンドを作るとかじゃなくて、好きなだけでやってる奴ばかりだったから、意欲的にも凄くて、競争みたいになるわけ。人がやってないことをやるとか、人がやってない曲をやるとか。
あのころはオリジナルとかやってなくて、ビートルズみたいな売れてるバンドのコピーやってるところもあれば、隠れた名曲を探そうってバンドもあって。
福岡の中に出れる場所ってのが4カ所くらいしかなかったんですよ、ダンスホールみたいなのが。だから、そこに出るためには相当頑張らないと出れない、いろんな面で。毎日やるわけですよ。今みたいにライブハウスに月に一度とかブッキングするんじゃないから。入れたら何ヶ月もやれるけど、入れなかったらずっと(人前で)やれないわけ。そういう世界なんですよ、昔はね。オーディションとかもあるけど、結局は人気のあるバンドが残る。お客さんを呼べるかどうかというのが、判断基準だから。
それと、当時は米軍キャンプが近くにあって、そっちはもっとレベルが高くないと出れなかった。だからね、競争率が激しかったんですよ。バンドは何十とあっても、出れるのは一握りだったから。
最初キースというバンドをやってたんだけど、(後の)SONHOUSEのメンバーも余所の店に出てたんですよ。だからお互い知ってはいたけれども友だちとかではなくて。「いいな」と思って見に行ったりする関係だった。
- ダンスホールとバンドの関係というのは、今のライブハウスとバンドの関係とは全然違うんですよね。