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柴山俊之 (Zi:LiE-YA)


Interview 1/2   Crossroad of 27  (27歳の岐路)
 
  ライヴが終わると、悪かったところばかりが気になる、と言う。何度もテープを聴き直して、どうすべきかを次のライヴまで考え続けるのだそうだ。真面目ですねと言ったら「いや、そんなことはないよ」と照れる。「それが当たり前だから」
27〜8歳の頃って、何をしていましたか? という質問をぶつけてみると「SONHOUSEを解散して、ひとりになった頃かな」。
今も親交のあるメンバーと離れ歌からも遠ざかった5年間が、現在の“頑ななまでに真面目な”柴山俊之の「岐路」になった。
 
 1960年代博多という“場”

- 柴山さんがご自身のサイトで連載しているもの(“菊”のブルース)を拝見していて思ったんですが、あの熱気というのは、時代的なものなんでしょうか。それとも博多という「場」の持つものなんでしょうか。

時代的なものだと思うよ。単に音楽が好きな奴らが集まって、ああいう熱気を生み出してたんだと思う。殆どが辞めちゃったけどね。今みたいにレコードを出すためにバンドを作るとかじゃなくて、好きなだけでやってる奴ばかりだったから、意欲的にも凄くて、競争みたいになるわけ。人がやってないことをやるとか、人がやってない曲をやるとか。
あのころはオリジナルとかやってなくて、ビートルズみたいな売れてるバンドのコピーやってるところもあれば、隠れた名曲を探そうってバンドもあって。
福岡の中に出れる場所ってのが4カ所くらいしかなかったんですよ、ダンスホールみたいなのが。だから、そこに出るためには相当頑張らないと出れない、いろんな面で。毎日やるわけですよ。今みたいにライブハウスに月に一度とかブッキングするんじゃないから。入れたら何ヶ月もやれるけど、入れなかったらずっと(人前で)やれないわけ。そういう世界なんですよ、昔はね。オーディションとかもあるけど、結局は人気のあるバンドが残る。お客さんを呼べるかどうかというのが、判断基準だから。
それと、当時は米軍キャンプが近くにあって、そっちはもっとレベルが高くないと出れなかった。だからね、競争率が激しかったんですよ。バンドは何十とあっても、出れるのは一握りだったから。
最初キースというバンドをやってたんだけど、(後の)SONHOUSEのメンバーも余所の店に出てたんですよ。だからお互い知ってはいたけれども友だちとかではなくて。「いいな」と思って見に行ったりする関係だった。

- ダンスホールとバンドの関係というのは、今のライブハウスとバンドの関係とは全然違うんですよね。

全然違いますよ。ダンスホールというのは、お客さん踊るために来る訳だから、今みたいに「見に来る」という感覚はないんですよ。あとね、グループサウンズが流行ってたころだから、ルックスとかも求められたりするわけ。ローカルのテレビやラジオの話もあったりするから。
ブローカーもいましたよ。中間で搾取する人。ものすごく悪い人もいっぱいいたから。全部持っていっちゃって一銭もくれなかったりするような人がいっぱいいた。それでもやりたいから、しょうがないって思いながらやってたりとかね。損得勘定でバンドやってなかったんですよ。だって、1ヶ月のギャラが1万6千円とかさ。毎日出て、一日何回もステージやって、それで精々2万円とか。それでマイク買ったりドラム買ったりしてたけんね。だから貧乏でしたよ。まあ、家にいたからね。まだ学生だったし。

- 学生時代はよく喧嘩したと書いてらっしゃいましたが。

それはね、反動だと思います。小学生の頃は苛められてて。姉と妹がいたせいで、周囲に女の子が多かったんですよ。そういうのって苛めの対象にする奴いるでしょう。
その反動で中学になった辺りからぐれちゃって。本当に悪かったから。喧嘩ばかりしてたし、いずれはヤクザになるんだろうと自分で思ってたし。
ダンスホールってのは、そういう不良がいっぱい集まってるようなところだったんですよ。そこに毎日のように遊びに行ってたら、見たことがある奴がいるわけ。同じ高校の奴でね、凄く女の子に人気があって。それで何となくついて回るようになっちゃって(笑)。そうやって音楽と出合った感じ。元々音楽は嫌いじゃなかったけど、ロックは知らなかったから。
だから(音楽始めた)動機は不純でね。女の子にもてようと最初は考えてたから(笑)。

 SONHOUSE
- 音楽やっていく中で、自分たちのオリジナルをやろうと思い始めたきっかけって何なんですか?

SONHOUSEって、ブルースをやろうと始めたバンドだったんですよ。だから最初はブルースばかりやってたの。そうしたら、途中で煮詰まっちゃって、もうどうにもならなくなって。それで解散しようかなって話にもなって。
ちょうどそのころって、フォークが出てきたころで。吉田拓郎とか、井上陽水とかチューリップとかね。あとはっぴいえんどとかも出てきたころで。日本語の歌謡曲でない歌というのがどんどん出てきてたときで。
それで、今まで日本語の歌をやったことはないけれども、解散するのはいつでも出来るから、一遍だけでもやってみようかと。それでどんなものか試して、それから辞めようという話になって、オリジナルを作ってみたんですよ。そしたら、割と面白くて。で、続いちゃったと。

- そういうふうにオリジナルをステージに持ち込むことに対して、周囲の反応ってどうだったんですか。

酷かったよ。それまでブルースばかりしとったからさ、それを認めているファンっていうのがついてたんですよ。そこに日本語の歌なんて入れたもんだから、「コマーシャリズムに乗った」とか「フォークみたいな真似をするバンド」とか言われて、お客さん全部いなくなっちゃった。そんなに元々(ファンが)沢山いたわけじゃなかったけど、その人たちもみんないなくなっちゃった。
でも、自分たちはオリジナルをやることが楽しかったからさ。離れていったお客さんについて思い悩むより、自分たちが面白いってことのほうが意味があったから。あんまり不安にはならなかったんだけど。

- そのころって、もうずっと音楽やっていくって思ってたんですか。

いや、そんなことない。もう大学卒業したら就職というか、家の仕事をするようにしようと思ってたんですよ、最初はね。家が厳しくて、バンドなんて職業はないって言われてたから。大学に行ってたから、その間は見逃してもらえたけど、それを職業にするなんて、考えてもいなかったしね。

- でも、柴山さんのファンだって沢山いたでしょう。

いや、そのころはあんまりいなかったと思うよ(笑)。SONHOUSEの最初のころもね、ボロクソだったですよ、ヴォーカルは。特にオリジナルやるようになったばかりのころは酷かったですよ。下手だって言われて。自分でそんなに上手いとは思ってなかったけど、下手だとも思ってなかったのね。なのに、「ヴォーカル変えたら人気が出る」ってよく言われた。もちろん、そうじゃない人もいたけどね。
メンバーは何も言わなかったけど、やっぱ「歌が変わったらよくなる」なんて言われたら、相当辛いですよ。カバーをやってるときはあまり意識しなかったんだけど、オリジナルをやるようになって、テープに撮った自分の歌を聴いたら、なんかつまんないわけですよ。そういうのって格好悪いけんね、みっともないし。それで、自分の歌を一所懸命聴くようになって、悪い癖を直したり。
そのころは判らなかったけど、やっぱり英語の歌を歌うのと日本語の歌を歌うのとでは発声の仕方から違うんですよ。英語ってのはなんとなく丸っこいんだけど、日本語は角張ってるの。だから、全然違うの。音楽にとって邪魔にならないような歌い方をしないと、説得力がないわけ。
ただ、そういうことがちゃんと解って出来るようになったのはもっと遅くて、SONHOUSE辞めて、歌から離れて、また歌いはじめた辺りからかな。それまではただ日本語の歌を歌ってるってだけで、解ってなかった気がする。他の音楽はもちろんのこと、自分の歌を聴かないと、そういうのって判らないでしょう。それでも(自分の)いいところばかり聞いちゃうと、悪いところに気づかないじゃないですか。だから悪いところばかり探して聞くクセがついちゃった。いいところはね、放っておいてもいいんですよ。悪いところをこそ直さないと、今よりよくはならないから。
自分で自分に厳しくたって、傷つかないじゃないですか。他人に言われたら傷つくかもしれないことでも。だから、自分で判ればいいんですよ。直せばいいだけだから。他人に同じ指摘受けたら、自分だったらカッとなっちゃうし。

- そうやってやっていく中でレコードも出て、7年くらい続いていたSONHOUSEが終わってしまったのは、やはり商業的にきついってことが大きかったんですか?

いや、商業的にどうこうっていうことじゃなくて、やっぱり行き詰まっちゃったんだよ。メンバーがとかじゃなくて、純粋に音楽的にね。
最初SONHOUSEでオリジナルやりはじめた頃って、ポリシーとまでは言わないけれど、ひとつの核というのがあったんですよ。それが、続けていくうちに周りから入ってくる音楽とかに影響されちゃって、サウンドがそっちに寄っていっちゃったりして、変なところに嵌っちゃって戻れなくなっちゃったんだよね。
そういうのってバンドが陥りやすいところで、ネタがなくなっちゃうと、そうやって探しに行ってしまう。自分たちの核になるものだけをやっていけばいいものを、つい動いてしまって。
自分たちが過去に聞いてきて、影響を受けたものというのならいいんだけど、流行りのものを取り入れてしまうというのは、一見(自分たちが)新しく感じるだけで、自分の服じゃないから着ているうちに気持ち悪くなっていくんだよね。SONHOUSEはそういうジレンマに陥っちゃって、辞めることになったんだよね。
だから、金銭的なことではなかった。まあ、家にいたからあまりそこの部分で悩まなくても済んじゃったっていうのはあると思うけど。好きな音楽がやれて、自由にいられればいいやって感じだったから。

柴山 俊之
伝説のバンドSONHOUSEのオリジナルメンバー。
ニックネームの“菊”は白波五人男からだとか。
作詞家として千曲以上の楽曲に参加。
現在Zi:LiE-YAを率いて活動中。
 
Zi:LiE-YA
Vo. 柴山(菊)俊之
G. 澄田 健
G. 山下 タツヤ
B. 穴井 仁吉
D. 大島 治彦
CD Information
癒しの時代にトドメを刺せ。2004年4月25日NEW RELEASE !
Zi:LiE-YA First Album
CAPTAIN TRIP RECORDS
2947yen (IN TAX)。
Zi:LiE-YAのオリジナルを中心に、これ迄柴山俊之が拘ってきたアーチスト、BAND(SonHouse、シーナ&ロケット、ルースターズ、アン・ルイス、etc)のナンバー(セルフカバー)を、ヘビーでポップなロックン・ロール・サウンドで甦らせます。
Live Infomation
4月10日(土)
   京都 磔磔
4月24日(土)
   下北沢 CLUB251
4月30日(金)
   福岡 CB
5月2日(日)
   大阪 ファンダンゴ
5月3日(月)
   名古屋 TOKUZO
5月4日(火)
   清水 JAMJAMJAM
5月15日(土)
   千葉 LOOK
5月16日(日)
   下北沢 CLUB251
SPECIAL LIVE !!
祝めでたや菊祭り
チンドン三昧ボボ三昧
2004年6月9日(水)
下北沢 CLUB251
春歌
(柴山俊之、下山淳、Dr.kyOn、池畑潤二)
ソウル・フラワー・モノノケ・サミット
(中川敬、奥野真哉、河村博司、内海洋子、 樋野展子、中西智子)
OPEN 19:00
START 19:30
前売 \3,500
  当日 \4,000
 (双方とも+ドリンク代)
   
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