ミュージックウェブマガジンばんび
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スティーヴ エトウ  ( 二枚舌/デミセミクエーバー )


Interview 1/2   Crossroad of 27  (27歳の岐路)
 
  非常に朗らかなのだが、怜悧さを併存させている人だという印象を受けた。ある意味油断のならない人である。
インタビュー前半は少年時代からパーカッションとの出合い、そして伝説のバンドPINKの話を中心にお送りする。
 
 においの記憶

―お父様が筝曲家でらっしゃるそうですが、アメリカで活動なさっていたんですか。

そうです。なんかよくわからないんですけど何を思ったかアメリカに渡っちゃって。昔の事は話したがらないんで、聞けずに終わるような気もするんですけどね。帰ってきたのは1964年で、11年いたって聞いてますから向こうに行ったのが1953年。戦争終わってそんなに経ってないですよね。アメリカの占領が解けて大して時間経ってないから、その時点で行けるってことはどういう伝手があったんだろうと思うんですけど、アメリカに渡ってRCAで何枚かアルバムを出したりとか、カーネギーホールでやったりとか、そんなことを。

―スティーヴさんがお生まれになったのはロスですか。

そうです。でも日本に戻ってきたのが6歳ですから、ほとんど記憶がないです。最後にいたがのニューヨークで、そこにはちょっと思い出がありますけど。

―家の中では英語で話していらしたんですか?

いや、家の中では日本語。子ども英語は話していたようなんで、当時はバイリンガキだったみたいです。相手見てこの人は英語なんだーって英語喋ったりとかしてたみたいですよ。僕は子どもの時にこっちに来てしまいましたから英語のほうはすぐに全部忘れちゃって。向こうで生まれ育ったっていう事よりも、向こうに11年もいた親に育てられたっていうのが影響大きいですよね。考え方にたまにズレがあるなーみたいなことを子どものときに思ってましたから。

―アメリカナイズされた考え方をされているということですか。

どっかでね。それに日本に住んでいても今も外国人登録ですし、ビザで住んでて。親が二重国籍にしなかったので、向こうのパスポートしかないんですよね。いちばんおかしかったのは母親が亡くなったとき……もう二十年前ですけど、色々手続きがありますよね。日本みたいに戸籍がないですから、僕と母親が親子だっていう証明が日本には何もないんですよ。唯一の方法がカリフォルニアの産まれた病院の出生届を取り寄せて、そこに母親の名前があるから親子なんじゃないかっていう、その程度のものしかなくて。戸籍制度があるのが日本と韓国とどこそこくらいのものですから、その方が世界的には珍しいんでしょうけど。
でもね、そういう場面に立ち会うと「ああ、そうなんだー」って。こうなると日本には”いさせてもらっている”感が段々増えてきますから。全然普通に暮らしているんですけど、段々客観的に引いて見るようになりますよね。引くんでもないな、ちょっと俯瞰から見てるみたいな。別にこの国に骨を埋めなくていいんだよな、とか思うと気が楽になるというか。より自由になれたかもしれないですよね。

―思い出といえば、サイトに載っていますよね、鯨の話。

あれが自分がN.Y.にいたんだなってことを証明してくれた出来事でしたね。においの記憶って絶対ですよね。例えば親の話を自分の記憶や景色にしてしまうことはありますけど、においは合成できないですからね。記憶と全く同じにおいがしたから急にぎゅーっと結びついちゃって、その瞬間。今までああいう出来事ってなかったくらいなびっくりで。

―それは大人になってから同じ場所にいらしたってことですか。

そうです。全然アメリカに行く機会とかもなかったんで、それもよくないだろうと思って27くらいの時に初めて行ったんですよ。

―スティーヴさんの場合音楽をやっていらっしゃるじゃないですか。音楽をやってらっしゃる方の記憶の拠り所がにおいっていうのが面白いなと思ったんです。

そうですね。他にもあったかもしれないんですけど、それが決定的な証拠になったという。
初めてニューヨークに1人で行って、ある種自分探しの旅みたいな。要するにずっとこっちにいますし、ずっと東京ですし、けれど実家っていうのもなかったんですよ。しょっちゅう引っ越ししてましたので故郷は何処でしょうっていう感覚がありましたから。だからどうっていうんじゃないんですが、とにかく行ってみようと。色々見て回って、この辺に住んでたはずだってところもウロウロウロウロしてみたんですけど、結局はそういう決定的な証拠は掴めず。その鯨だけが頼りだったんです。そのにおいだけが。それで、帰る前の日にセントラルパークの角っこを歩いていたら急にその鯨がいて。
夕方だったもんだからもう閉門してて。次の日出発だったんですけども、その朝にギリギリ飛び込んでって口の中にポンて入っていったら同じにおいがしたということなんです。

―相当特殊なにおいなんですか。

口の中がコンクリートで、ゴム張りしてあって。要するに物凄いゴムのにおいですよ。

―いいにおいではないですよね(笑)。

全然いいにおいじゃないですよ。物凄く厭なにおいですよね。ゴムタイヤを燃したときみたいな。ああいうイヤなにおいです。だから覚えてたんじゃないかな。これがお花のいい香りだったらたぶん記憶を合成していたかもしれないですよね。

―他のものと結びついちゃうような。そこは遊園地みたいなんですか。

子ども動物園みたいな。ジャングルジムがあったり、池のところにクジラがいて、要するにピノキオのシチュエーションなんですよね。中に水槽があって、そん中に金魚が泳いでたことも覚えてたんですよ。いろんな事が ばーっと蘇って、途端に好きな街になっちゃったという。

―それは強烈なにおいと共に喚起されるとてもいい思い出ですよ。

ですよね。ああいう臭いじゃなかったらそこまで結びつかなかったかもしれない。


 ボンゴを買う

―お子さんのときはどんな感じだったんでしょう。


どうなんでしょうね。帰ってきてからしばらくして、中学とか高校とか行っても、普通の男子がやるように徒党を組んで遊んだことないんですよ。極端な話でいうと族に入るとか、チーム組むとか。そういう男子の固まりで遊んだことなくて。女の子とおままごととかはしてました。

―徒党を組むのはダサいと思ってたんですかね。

ああいうところには必ずある上下関係であるとか、妙な仲間意識とか。そういうのが未だに不得意ですよね。

―ライブとかを拝見している限りでは物凄く、ある意味自分のものを出しておきながら、ちゃんと協調性をもっているように見えますが。

それはもちろん、そうでなきゃ音楽にならないし。でも所謂バンドっていう形も結構違和感があるっていうか……やってますけど。一緒の組としてやっているっていうかね。

―中学生や高校生の時にバンドを組むときってお友達感覚が凄い強いじゃないですか。ああいう感じはないんですね。

ないですね。例えば、いちばん長いのだと、デミセミクエーバーというバンドがありまして、あれもバンドっていってもセッションみたいなまま来ちゃってますから。即興の部分が非常に多いので。しかも、そのうえでぐちゃぐちゃになってたりするので、そういうんだから付き合える。一応バンドなのにデミセミは今年(2005年)は1回しかやってないですからね。

―話を戻しますが、おうちではお父様が音楽家で、でも今やってらっしゃる音楽が全く違っていて。その頃は音楽はまだやってらっしゃらない時期ですよね。音楽にはかなり触れてらっしゃったんですか。

触れていたからこそ全くそれをやる気がないという。触れてたというのは要するに父親がいちばん華々しい時代を僕は見てますから。家でも今でも父親と話す時は”ですます言葉”ですけど、いわゆる家元さんの御家みたいなのを想像してもらえればいいです。母親も父親のことを先生と呼んでましたし、そういう家庭でしたから。
家でもそれなりにきちんとしている紳士な父親が、本番ともなればきれいな着物着て、金色の袴決めてばーって舞台出てって、両手広げて帰って来るという。邦楽なのにかなりポップというか華やかなものだったし、そういうところを見てますから、そんなものとは同じ土俵に上がろうとは、やはり息子はあまり思わない訳で。

―お父様は厳しい方だったんですか。

放任ですけど、厳しいというか。音楽とかは全然やろうとか思ってはなかったんですけどね。気がつけばこんなことになってしまって。音楽に最初に触れだしたのは、中学とか高校のときに日本は第一期フォークブームで。仲間うちは皆ギター弾いて拓郎さん歌ってたりする。一番仲良かった奴はサイモン&ガーファンクルが大好きで、アルバム聴かせてもらったら良い曲で。皆なんかギターとか弾いたりしてますから、僕も音楽家の息子なのにそこに参加できないのはいかがなものかと思いまして(笑)、渋谷の河合楽器に行って小さなボンゴを買ってきたという。

―そこでフォークギターじゃなくてボンゴなんですか。

そう。楽器の練習をするのも面倒くさいなと思いまして。そういう修行の世界は僕は無理だなと。なんとなくギターとか色んな楽器は家に豊富にありましたから触りましたけれども、どれも一生懸命習得するのは向いてないなと思って。
サンタナとかが流行っている頃で、パーカッションという分野があるらしいという事を知って。これはなるほど叩くだけなんだ!楽そうだなーと(笑)。


―凄い間違いですよね。勘違いですよね(笑)。


いや、未だに合っているような気がします。正しかったみたいで。それでボンゴを買ってきたのが最初で、最初は仲間うちでボコボコやって。歌声喫茶みたいにやってたんですけど、別にそれでどうこうっていうのはなく過ごしてたんですよ。高校時代になんとなく楽器を増やしてみたりしたんですけど、誰に呼ばれることもなく。その頃は鎌倉にいたんですけれども、たまに近所の中学のブラバンのお手伝いをしたりして。
大学入ったときに、高校時代から知っていたベースを弾いている奴が、君パーカッションやってるんだよねって。そいつは今もディレクター仕事してますけど、誘われて入ったのが早稲田大学フォークソングクラブというところで。
そこに入ったら、その時期丁度ニューミュージックとかフュージョンとか、割とパーカションなものが流行りだした頃で、名前はフォークソングクラブなんですが要するに軽音楽部で皆好きな音楽を色々やっているんですよ。そこでたった1人のパーカッショニストで、サークルは百何十人いて。そしたら急に忙しくなっちゃって、学園祭とかがあるとですね、僕はずっと舞台にいっぱなしで次から次へと色んなバンドがやって来て、僕はずっと舞台の備品のように叩いているような感じだったんです。それでなんとなく音楽をやりだしたんですね。


 

 

スティーヴ エトウ
4月20日ロサンジェルス出身。PINKでメジャーデビュー。その後小泉今日子、藤井フミヤ、及川光博などのツアーサポートの傍ら、デミセミクエーバー、二枚舌等で活動。

二枚舌
Percussion スティーヴ エトウ
Keyboard D.I.E
Guitar Atsushi
Bass kenken


CD Information
二枚目
2005.06.08 release
2MJT-002
\2,000(TAX IN)
1.くの一 NANCY
2.ドラゴンズ
3.おいた
4.SLAPPY HAPPY
5.サヨナラクレイジー
6.湘南
7. カルロス・バンデラス
8. 俺と兄貴とピヨちゃんと
9. 俺は導火線
10 デスぴよ
11 エピローグ

Demi Semi Quaver
Vo: Emi Eleonola
B: 横山keith英規
G: テラシィイ
Dr: 中幸一郎
Violin: 勝井祐二
Perc Steve Eto

CD Information
Dog Bless You
2003.4.14 release
AFT-00006
\2,940(TAX IN)
1.マジョカンノン
2.DOG WITH YOU
3.心臓
4.LOLITA!
5.HAPPY MONSTER
6.牛
7.CAMELLIA CANARY
8.ハッピーバースデイ人間

Live Infomation

10/22

バナナホール
  はぶナイト
11/3、4 草月ホール
レナード衛藤 2 Days Live "Blend ver.2"
11/6 初台DOORS
  二枚舌
11/22 高円寺JIROKICHI
DIDGERIDOO MAGIC
DVD Information
スティーヴ エトウさんの
DVD本 Vol.2
\2,500(TAX IN)
   
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