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―フミヤさんの方が年下ですか。
フミヤの方が年下です。彼らは実はヤマハのコンテストに出てて、僕は全然違うバンドで東京で一応賞だけもらって、そこで終わったんですけど、仲間内のバンドがいくつも出ていたので全国大会のLMCに行って応援がてら観てたら、ジュニアで優勝して出てきたのがチェッカーズで。ぎりぎりジュニアだったらしいけど。。。
「ジュニアでグランプリのチェッカーズです!」って、スーツ着てドゥーワップみたいのをやってて、可愛いじゃんとか言って見てたんですよ。暫くして、あの『チェッカーズがデビューしたらしいぜっ』て。テレビ見てたらいきなりなんか、前髪や衣装ピロピロになって踊ってるじゃないですか。今にして思えばギターのトオルなんか無理な格好じゃないですか(笑)。どうみても無理だろうって。わー、芸能界って大変なんだな、くわばらくわばらと思ってたんですよ。そんな印象だけだったんですけど、数年後、フミヤの弟の尚之君のツアーに土屋正巳さんに誘われたんです。チェッカーズは面白いですよーって。あの人ミュージシャンとしても大好きだったんですけども、じつは大のエンターテイメント好きで、例えば宝塚とか大好きなんですよ。その人が言ってるんだから、面白いのかなーと思って、観に行ったらめちゃくちゃ面白くて。それ以来解散まで見続けることになっちゃったんですけど(笑)。もう大好きになっちゃって。未だにメンバーとかとね、フミヤとか一緒にツアー回ってるし、トオルとか皆友だちなんですけど。1対1で話している分にはいいんですけど、2人いると段々ソワソワしてきて、3人いると引いちゃって遠くで見るような感じになっちゃうんですよ(笑)。いいです、こっから見てますって(笑)。3人以上いるとチェッカーズ度が増えていくので、段々緊張していくっていう話なんですけども。
―チェッカーズっていうのは、バンドっていうものを商品として日本できちんと出したバンドですよね。
ですよね。ライブを観て何がいちばん凄かったかというと、彼らはその頃絶頂のアイドルですから、ちゃんと自分達の役割を解っていて、お客さんたちのキャーキャー言うのをちょろちょろっとくすぐってあげていて。でもよく音を聴いていると、その頃の先端とも言えるハウスをやっていたりとか、延々グルーヴものをやってたりとか。ホワイトパーティーってタイトルだっけ?行ってみたら会場、武道館中が白いんですよ。なんだろう、これ?宗教っぽいぞとかって思ってたら、実はそこに巨大なプロジェクターが四隅に置いてあって、お客さんにドラッグビデオ投影してたりする訳。武道館中がグニョグニョになってる(笑)。こいつら狂ってるなって(笑)。
―観客の服がスクリーンになっているってことですか。
そういうこと。その頃はネットとかないですからね。ラジオとかの呼びかけとかそういうので、お客さんもなんだかわかんないまんま白い服着てきたんでしょうけどね。
―それは凄いですね。ちょっと想像するとくらくらしそうですね。
くらくらしましたよ、あれは。びっくりしました。勿論今ほどプロジェクターとか光量ないですから、なんとなくグニョグニョしてる感じでしたけど。
でも当時はびっくりしましたね、その発想とか。もう一生ついていきますって感じでしたね。
―それで今もお付き合いがあるんですね。
お付き合いもありつつ。プロとしてのスタートは爆風銃やっている頃。渋谷のEgg-manに友人バンドのお手伝いで何回か出ていたら、そこのエンジニアの人が「知り合いがパーカッションの人探しているんだけど話聞いてみる?」って。それで会ってみたら、西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」の頃のツアーのお話で。そのとき僕は全然アマチュアだったんですけど、それに参加して。ああやっとギャラを貰えているって。
―結構トントン拍子ですよね。あまりガツガツしないうちに。
元々ガツガツな性質じゃないんですけど(笑)。そもそも「プロになるぜ!」っていうのがなくて。楽器運ぶのがリュックじゃ辛くなっちゃたんで、軽自動車のバン買ったんですよ。30何万くらいの。取りあえず買っちゃったから、この分くらいギャラもらったら十分かなと思っていたら、もうちょっと大きいのに買い替えちゃって、じゃあこの分くらいって(笑)。やっているうちになんとなく。自転車操業で転がしているうちに現在に至る、みたいのもあるんですけどね。
西田敏行さんに誘われたチームがある種プロデビューで繋がりだした最初ですね。そのバンドで次にキョンキョンのデビューツアーで。そっから彼女とは長い付き合いになってしまいました。
―彼女もプロデュースがちゃんとしているアイドルって感じですね。
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