ミュージックウェブマガジンばんび
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高橋まこと (DAMNDOG/UZU)


Interview 1/2   Crossroad of 27  (27歳の岐路)
 
「ポジティヴですね」と言ったら、面白そうだ、と思うことにはじっとしていられないんだよと豪快に笑った。「子どもの頃からずっとそうなんだよ」。
好奇心とインスピレーションを行動力に換え続けてきた高橋まことにとって、挫折のあとのBOΦWYとの出合いは、紛れもなくスプリングボードになった。
 「エレキ」が合い言葉の小学生

-高橋さんの27歳って、BOΦWYにいらした頃ですか。

えーとね、ちょうどBOΦWYに入った頃かな。

-そもそもドラムを始めたきっかけって何だったんでしょう。


小学校5年くらいのときに、ベンチャーズとか、エレキブームが来てたんですよ。そういうのって、俺たちよりもう少し上の世代の人たちがはまったんだよね。俺たちのお兄さん・・・・・・3つ4つ年上の、団塊の世代のいちばん終わりくらいの人たちが、それにわっと飛びついて。
で、あの頃って兄弟が何人もいる家は沢山あって、年が離れたお兄さんがいる友だちっていうのもいたわけ。俺たちはまだ小学生なんだけど、「うちの兄ちゃん、エレキ買ったんだよ!」って友だちはいるのよ、福島の田舎でも(笑)。「おおっ、ちょっとそれ見せてくれよ!」ってみんなで行くわけ。俺たちの合い言葉はエレキなの(笑)。「素晴らしい響きだ!」って。
で、「触るな触るな」って言われながら見せてもらうんだよ。その兄ちゃんはもうアンプも持ってるるわけ、自作のやつをさ。「じゃ、少し聴かせてやるか」ってギュワーン! 「おおっ!」(笑)。
もう、その音のでかさに感動してさ。で、いいなあって憧れたのが、(音楽への)きっかけ。

-でも、ベンチャーズとか聴いたら、最初はテケテケってギターのほうに気持ちが行くのでは。どうしてドラムだったんですか?


いや、もちろんギターに行きたいに決まってるじゃないですか(笑)。だから、いちばん最初にギター欲しいなって思うけど、これがよくしたことに、俺の行ってた小学校には、同級生にギターが何げに弾ける奴がもういるのよ。そいつも、親戚の兄ちゃんがエレキ持ってて、夏休みの間にひと月近く貸してもらったらしいのね。それで覚えたらしいのよ。で、ちゃんと弾けるの、メロディーもコードも。
そいつがまた頭もよくて、優等生なの。リーダーシップもあって。当然その周りに人が集まってくるわけ。そうなるとみんなギターじゃバンドにならないじゃん。それで、2番目に上手い奴が「じゃ、おまえサイドギター」って。で、ベースとドラムはどうするって話になると、(ギターの)下手な奴が自然にされちゃうんだよ(笑)。ちゃんとピラミッドになってるんだよ。
俺も一応6年くらいのときにギター買ってもらったんだけど、結局あまり弾けなくて。サイドギターまでは昇進したんだけど(笑)。ドラムの奴もいたんだけど、そいつは兄ちゃんがドラム持ってるって理由でドラムなの。「スネアとシンバル借りてこい」って。
そうやって友だちの家に集まって、やるわけ。考えてみればませてるというか、早いよね

その集まっていた友だちの家っていうのが、お父さんが市民オーケストラの団長さんだったの。その親父さんは、もちろんクラッシックもいいけど息子たちがずんちゃかやるのもいいって考え方の人で。その家にはピアノもあるし、音出せる離れみたいなのもあるから、集まってわいわいやる場所にも恵まれてたわけ。毎日来たって何も言われないし、「飯食ってくか」ってノリで。居心地いいんだよ。
そのお父さんはエレキの話はしないんだけど、クラッシックとか、ジャンルは違うけど音楽の話を色々教えてくれるわけ。
結局その家には、高校卒業する頃まで、ホントに入り浸ってたよ(笑)。そいつ自身は、高校で宇都宮の音楽学校行って、最終的にはファゴット奏者になって。お兄さんがふたりいたんだけど、ふたりとも音楽好きでね。だから、友だちが宇都宮に行ってもお兄さんがいるからって、学校帰りに行って音楽聴いて飯食って(笑)。「レコード買ってきたんだけど、ここオーディオいいからさあ、ここで聴かせて」ってロックかけてさあ(笑)。
だから、本当に子どもの頃からの環境はよかったよね。

-高橋さんご自身はご兄弟は? 

 
兄貴がいるんだけど、音楽は好きだけど楽器にはあまり興味がないって感じだった。しかもクラッシックが大好きで。しまいに、タンスみたいなスピーカー買ってクラッシック聴いてた。かなり(お金を)注ぎ込んで凄いオーディオ組んでたけど、結婚してからあんまり聴いてないだろうから、そのうち俺が引き取ろうかと(笑)。
でね、趣味が高じてくると、スコアとか買ってくるのよ。で、譜面台立てて、気づくと指揮棒まで持ってるわけ(笑)。「それどうしたの?」「うん、買ったんだ」って。 

-ジャンルは違うけど、ノリがご兄弟ですね(笑)。 

うん、アホかと(笑)。
でね、兄貴も高校生くらいのときには、一応ロックも聴いてたわけ。ほら、オーケストラとのコラボレーションとか、ディープパープルがやってたりしたし。でも、俺が家出るときには、自分が持ってたロック系のアルバム全部くれたりしてね。
 
 初めて人前で叩いた頃
 
-高橋さんは、小学生の頃からバンドという形でやってらしたわけですね。

うん、その友だちの家にいろんな奴が来て、また出ていって、セッション場みたいになってた。ただ、人前でやる機会はなくて、それだけが不満だったかな。
人前でやるようになったのは、やっぱり高校生になってからだよね。お店もないし、コンテストもないし、学園祭くらいで。
でね、俺たちが行ってた高校って、3年に1度しか学園祭がないんですよ!(笑) 俺が行ってた高校って、福島ではいちばんの進学校だったんですよ。でね、高校2年のときに、その学園祭があって。で、演奏したいって学校側に言ったら、PAとか揃えられるんなら、中庭でやってもいいぞってことになって。

それでね、俺は高校2年の頃には、もう勉強に嫌気が差してて、夏休み中にどこかでドラムだけ叩けるようなバイトはないかって、あちこちに声かけてたわけ。そしたら、蛇の道は蛇とでもいうのかな、知り合いがって、紹介してもらえたんだよ。で、大学生のバンドで練習して。色んなアルバム渡されて、必死になって覚えてさ。そしたら「お、ちゃんと叩けるじゃん」って。「実はダンスホールで土日だけバイトしないかって話があるから来い」って。それで夏休み中からハコバンやってたんですよ。中学のときからやってたバンドとは別にね。

-じゃあ、人前で叩く=お金になっちゃったって感じですか。 

いや、でもたいした額じゃないから。1バンド5000円だったもん。帰りにみんなでご飯食べると終わっちゃう。でも、人前で叩くことが嬉しかったし、楽しかったからね。

-そうやって高校時代を過ごされて、受験。 

うん、でもやる気全然なかったからね(笑)。それこそあわよくばって感じで。東京への憧れってあったけど、別に東京じゃなくても、福島から離れてみたいと思ってたくらいで。当然失敗しまして(笑)。浪人する気にもなれず、結局福島で親戚の内装会社に勤めて。3年間頑張ってやってたんですよ。もちろん、バンドも続けてたしね。
「ワンステップ・フェスティバル」っていうイベントがあって、それに出たり、東京のバンドのライヴで対バンやったり。
そんなふうに3年過ごして、やっぱり福島にいるままじゃだめだって思って。(以前一緒に)バンドやってたベーシストが進学して仙台にいたからね。ギターの奴と一緒に、「仙台でバンド組んで、仙台から発信しようぜ」って、そいつの家に転がり込んで(笑)。で、気がついたらコンテストでもいつも1番で。
これじゃ面白くない、東京に行けばもっと上手い奴が沢山いるんだろうな、行きたいなって思ってた頃と、メンバーが大学卒業っていうのが重なってね。

福島にいる間も、「福島ロックンロール・センター」っていう、よくわかんない組織があって(笑)、そこに俺たちのバンドのマネージメントやってる奴がいたわけ。
で、そいつが東京から色々呼んでくるんですよ。頭脳警察とか、つのだひろスペースバンドとか。キャロルもいたし。そういうバンドの前座をやってたのね。
福島ロックンロール・センター作った張本人ってのが、大学行くために東京出てみたら、ちょうど紛争のまっただ中で、大学は封鎖されてたって人で。で、そのとき浦和ロックンロール・センターっていう、四人囃子だの安全バンドだのをマネージントしてる奴らと知り合って、よし、福島にも作ろうって。
まだ東京にだってライヴハウス多くないし、やる場所を探してるわけじゃない。そういう横の繋がりがあって、かまやつ(ひろし)さんが来たり、テンプターズでドラム叩いてた大口さんとか来たり、色んな人が来るのよ。ギャラちゃんと払ってたのか知らないんだけど(笑)、そのマネージャーの家が広くて、そこに泊めて、みんなで酒飲んだりして。そうやって色んなミュージシャンと出会って。 

で、安全バンドにいた長沢(ヒロ)とも知り合って、「まこと、おまえバンドやるなら、ちょっと東京出てこないか」って話になったの。24くらいのとき。「一緒にやらない?」って。ただ、最初に釘刺されたのが、「おまえ、バンドで儲かると思うなよ」って(笑)。一言がっちりと。あの釘は五寸くらいあった(笑)。
誘われないとね、なかなか行きにくかったから。ひとりでは(バンドやるにも)難しいし。 


高橋まこと
1954.1.6.福島県出身。
BOΦWY、De+LAX等を経て、現在DAMNDOGにて活動中。
説明不要の、日本で最も有名なドラマーのひとり。
DAMNDOG
MAYUMI Vo&B
LEE Vo&G
MAKOTO VO&Ds
2002年7月より活動開始。
2003年3月 1st CD
[CURIOSITY KILL THE DOG]
2004年1月 2nd CD
[FEED THE DAMNDOG]
CD Information
FEED THE DAMNDOG
DINOSAUR RECORD
1575yen (IN TAX)。
Live Infomation
5/21(FRI)
  大塚REDZONE
5/29(SAT)
  鴬谷 東京キネマ倶楽部
6/6(SUN)
  町田PLAY HOUSE
6/12(SAT)
   本八幡 The 3rd Stage
6/20(SUN)
   下北沢屋根裏
7/26(MON)
   新宿LOFT
7/31(SAT)
      神楽坂DIMENSION
Ultla Zap Union(UZU)
SHO 三味線
KOUKI 和太鼓・チャッパ
YOSHIHARU 和太鼓・カホン
TOKUOU 三味線・尺八
MITSUAKI 和太鼓
GEOGIE ベース
MAKOTO.T ドラム
2003年4月、伝統邦楽の新たなジャンルを追求すべく結成された集団。現在、ライヴ活動を中心に展開中。
   
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