ミュージックウェブマガジンばんび
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高橋まこと (DAMNDOG/UZU)
Interview 1/2   Crossroad of 27
 上京〜HEROの結成、脱退

-いよいよ上京ですが、そのときにはプロになろうと思っていらしたんですか?

んー・・・・・・二十歳くらいまではね、楽しいからやってただけで、他にも何かやろうと思えばやれるじゃんって考えてた。ドラムはちっとは上手いだろうくらいのことは思ってたけど、プロでとか、そこまで思ってなかった。
仙台に出る頃から、音楽の道で何とかしてみようかなって思いが芽生えて。だから、食えてない時期に、そういうふうに覚悟みたいなものも出てきたかな。
潤沢にものを与えられているときって、「まあいっか」ってやっちゃうけど、実際にエッジに立つと、初めてやばいって危機感と同時に「これ(を選ん)でいいんだ」って思うものじゃない。


長沢とバンド組むために東京に行って、リハーサルしかやってないような生活を暫く続けてたのね。そうやってポリドールとの契約が決まって。「やったー!」って。
だから、東京でライヴ活動をして、その流れで、じゃないわけ。デモテープ作って、送ってって中で。
詳しいこと、よくわかってなかったんだけどね。ほら、いるのよ、バンド周りには山師みたいなのがごろごろ(笑)。マネージャーなんだか、なんだかわかんない、どうやって食ってるのかもわからない奴がいるわけ(笑)。そういう奴らのひとりにデモテープ渡すとさ、横の繋がりだかで「俺にも一枚噛ませろ」っていうのが、どこからともなく湧いてくるの(笑)。
HEROってバンドだったんだけど、レコーディングしている間にマネージャーが決まったの。で、そいつが西野バレエ団から来たっていうの(笑)。で、「え? おまえ今まで何やってたの?」「由美かおるのマネージャーやってました」って。なんでそういうのが出てくるのよって(笑)。直接の知り合いでも何でもないわけ。でも、どこかの誰かの知り合いなんだよ(笑)。それまで芸能界でやってた奴が、いきなりロックバンドのマネージャーに転身してきちゃったの。

-高橋さん、デビューはBOΦWYですよね。HEROはどうなっちゃったんですか?

俺はね、1枚目のアルバムが出る前にクビになっちゃったの。メンバーに「音楽的に合わない」って言われて。リーダーの長沢も辛かったと思うよ。一緒に引っ張ってきた俺が他のメンバーに嫌われて、「どっちか選べ」みたいなことを迫られて。でも、バンドを維持していくためには、曲も書いてる奴を選ばざるを得なくなっちゃったんだよ。
で、そんなこんなで、ひとり放り出されちゃって。最初のうちは落ち込んだんだけど、このまま福島におめおめと帰るわけにはいかんって。
で、雑誌のドラム募集とか見て、面白そうだと思うものに電話して。で、スティック持って練習に行くわけ。で、行くとさ、これが下手くそなんだよ!(爆笑) で、俺より年上の奴もあんまりいないわけ、ああいう雑誌に載せてるのって。それで、また別のに電話して。
あのころ暇だったからね、日がな一日そういうの見ては電話して、行っては頭抱えて(笑)。それまで一緒にやってた奴らって、結構いけてたんだなって思ったり。
俺が知ってた東京のバンドって、例えば四人囃子とか、滅茶苦茶上手いわけですよ。俺、頑張らなきゃって思ってたのに(笑)。
やっぱりね、上手い奴らとやってると、自分も上手くなるんだよ。下手な奴とだけやってると、下手になる。不思議なことにね。
 
-そういう生活をどれくらい続けてらしたんでしょう。

半年か1年くらいじゃないかな。結局それじゃ面白くないんで、もっと面白いことをやりたいって思ってた最中に、浦和ロックンロール・センターの奴から声がかかって。で、そいつらと一緒にやってたんだけど、それも何となく居心地がよくなくて。
25,6くらいの頃だったけど、本当にどうにもならなくて。ただ、田舎に帰りたくないってのが単純にあって。一応プロとしてアルバムまで作ったのにって。
そのアルバムがさ、裏を返すと写真が載ってるんだけど、俺はいないわけ。ドラムは俺が叩いてるのに、発売前に辞めたからさ、別の奴の名前があるわけ。で、「This Album Played by MAKOTO」みたいなことが書いてあるの。それが悔しくてね。
だから、意地だよね。一回プロのバンドを(ちゃんとした形で)経験しなきゃ、辞めるに辞められないっていうね。

でね、プロになりかけ、みたいなところのオーディションがあって、それに行って合格したのね。で、ライヴやって、いよいよデビューって感じになったところで、「ヴォーカルだけで、他は要らない」って。「バックバンドとしてならやらせてやってもいい」みたいに言われてさあ。
で、またひとりになっちゃった。
そうしたら、浦和ロックンロール・センターがらみのバンドの奴から「いいギタリストが見つかったんですよ。一緒にやりましょうよ」って言われて、行ってみたら、シャケ(木暮武彦)だったんだよ。で、これは面白そうだって、バンド始めて、イーストウエストに出ようって埼玉予選に出たの。そしたら審査員席に知り合いがいて「まこちゃん、こんなとこで何やってるの?」って(笑)。俺、そういうの多いんだよ。この業界が狭いってのもあるだろうけど、面白そうだなって行った先で、知り合いに会うの。で、「まこちゃん、なんでここにいるの?って」(笑)。
ちょうどね、東京大会に出ようってころに、たまたまビーイング関係に知り合いのギタリストがいて、暴威ってバンドがドラム探してるって聞いてきたのね。それまでいたドラマーが辞めるってことになって、新しいメンバーを探してるって。
でも、俺には何も説明せずに「ちょっと暇あるならロフトに来い」って「見せたいバンドがあるから」って言うわけ。それで見たんだよね、初めて。
そのあと、「ちょっと紹介するから」って楽屋に連れていかれて。なんかデカいギターがいてさ(笑)。

 BOΦWY〜De+LAX

-それでそのまま加入なさったんですか?

いや、そのときは紹介だけ。
というのもね、さっきの話に出てたHEROで一緒だった長沢からさ、ジャニーズのバックバンドの仕事に入ったら忙しくなりすぎちゃって、他に受けた仕事ができなくなっちゃったんでやってくれないかって話が来たの。
「一応オーディションとかあるけど、まこちゃんなら大丈夫だから」って言われて。それで、スタジオまでドラムセット運ばなきゃいけないって、そのときやってたバンドの朝倉やシャケに手伝わせて(笑)、車出させて運んでさ。
それがLEVELって女の子3人のバンドだったんだけど、リズム隊のサポートってことで。そのときのベースがね、岡野ハジメくんで。俺、彼のこと知らなかったんだけど、彼、既に業界では有名だったんだよね、チョッパーベーシストって。おもちゃオタクだし(笑)。それで岡野と一緒にLEVELで全国回ったの。ノーランズの前座で(笑)。面白かったよー。

-それがBOΦWYに加入するかどうかって時期と重なるわけですか。

そうそう。もうアルバムは作ってるんだよって話はあったけど、デビューがどうこうってことでなく、BOΦWYに決めたの。誘われてリハ見に行ったのがきっかけで。
そうしたら、もう翌月にはライヴの予定が決まってて、すぐに曲を覚えてもらわないとって言われて。「合宿を取った」って北軽井沢のスタジオ行ってね、1週間くらい缶詰で。
なんで入ったかっていえば、面白そうだったから。なんか変なバンドだけど、面白そうって。直感だからね。

-BOΦWYは、最初の頃はかなりパンキッシュでしたが、だんだんポップな方向に行きましたよね。

デビュー当時はね、「遅れてきたパンク」だの「反逆」だのってキャッチフレーズついてたよね。ちょっと社会を斜めに見てる感じの曲があったり。
でも、別に誰かに強制されての変化じゃないんだよね。人というのは変化していくものだから、続けていく中で、自分たちがアピールしていきたいものとして変わっていったんだよ。
だって、イメージダウンって、ずっと言い続けてたら言ってるほうだって辛くなってきたりするじゃない。思っていることを言っているにしてもさ、それを永遠に続けるっていうのは、やっぱりジレンマもあるじゃない。今これを言いたいっていうことをやっていて、でも変化していく気持ちっていうのもあるわけで。


-惜しまれながらも、それでも解散したのもそういった変化のひとつかと思うんですが、始めるより辞めるほうが難しいですよね。

そうだね。アマチュアが解散っていうのとは違って、周りを巻き込んじゃってるわけだからね。でもさ、最終的にはバンドっていうのはメンバーのものだからさ。「続けない」って言った時点で周りは諦めるべきだと俺は思うよ。それを無理に続けさせることに何の意味があるのかって思う。
それを無理に続けろっていうのはさ、新しい何かを作るっていうことじゃないところを求めてるってことになるよね。もう創造力とかいう部分じゃなくなっちゃってるわけで、それって悲惨なことだからね。
そんなことのためにバンドをやってきた訳じゃないんだからさ。

-BOΦWYの解散後の高橋さんは、やりたいこともわがままも言える立場にいらっしゃるわけですよね。どうしてそこでDe+LAXに入られたんでしょう。自分でバンドを作ろうとは思わなかったんですか?

思わなかったね。俺は基本的に生涯一ドラマーだから。
なんでこういうことを続けてきたかっていえば、ドラムを叩きたいってだけなの。ドラムを叩きたいんだけど、叩くためにはバンドないとだめじゃんって
ソロアルバムも10年前に1枚だけ作ったけど、それも何かやらなきゃって自分で思ったからであって、それが目標だった訳じゃないんだよ。今でもあんまりそういう欲求ってないんだよね。
高橋まことのドラムっていうのを作り上げてきたつもりだしね。
 
MAKOTO TAKAHASHI Website [Atomic Drum]: http://www.makotomic-drs.com/

interview : t_i n
photograph : Chakoba
高橋まこと
1954.1.6.福島県出身。
BOΦWY、De+LAX等を経て、現在DAMNDOGにて活動中。
説明不要の、日本で最も有名なドラマーのひとり。
DAMNDOG
MAYUMI Vo&B
LEE Vo&G
MAKOTO VO&Ds
2002年7月より活動開始。
2003年3月 1st CD
[CURIOSITY KILL THE DOG]
2004年1月 2nd CD
[FEED THE DAMNDOG]
CD Information
FEED THE DAMNDOG
DINOSAUR RECORD
1575yen (IN TAX)。
Live Infomation
5/21(FRI)
 大塚 REDZONE
5/29(SAT)
 鴬谷 東京キネマ倶楽部
6/6(SUN)
 町田 PLAY HOUSE
6/12(SAT)
 本八幡 The 3rd Stage
6/20(SUN)
 下北沢 屋根裏
7/26(MON)
 新宿 LOFT
7/31(SAT)
 神楽坂 DIMENSION
Ultla Zap Union(UZU)
SHO 三味線
KOUKI 和太鼓・チャッパ
YOSHIHARU 和太鼓・カホン
TOKUOU 三味線・尺八
MITSUAKI 和太鼓
GEOGIE ベース
MAKOTO.T ドラム
2003年4月、伝統邦楽の新たなジャンルを追求すべく結成された集団。現在、ライヴ活動を中心に展開中。
   
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