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本田 毅  ( fringe tritone )


Interview 1/2   Crossroad of 27  (27歳の岐路)
 
  現在、弟である本田聡とともにfringe tritoneで活動している本田毅。インタビュー中、口癖のように「普通なんですよ」と言う。だがその「普通」は「平凡」ではなく「堅実」を指している。
インタビュー前半はPERSONZ加入までを追ってみる。


 
 ウクレレ・アコギ・そしてベース

―幼い頃ってどんな感じのお子さんでしたか?

全然普通の。普通って言ったら変ですけど。適当に面白いことをやってウケをとるみたいな。スポーツ出来たわけでもないんで、目立たないって言ったら変だけど、もっとモテる奴はいたし。勉強もそんなに出来る方ではなかったから、ちょっと面白いこと言ったりして。陰でこそこそやるタイプですね(笑)

―テレビは見ていたほうですか。

めちゃくちゃテレビっ子って訳でもないし、普通普通って普通ばっかりであれなんだけど。

―幼稚園や小学校の時に流行っていた番組って覚えてます?

普通にヒーローものとか、ウルトラマンとかウルトラセブンとか。円谷のやつですね。今でも好きですね。仮面ライダーも好きだし。

―昔の特撮モノって、暗いですよね。

初期のやつはどれも悲しいですよね。ウルトラマンもウルトラセブンもかなり重くて暗いんですよね(笑)。そこに何か面白さを感じていたんでしょうね。

―歌番組が全盛だったかと思うんですが。

見てましたね。見てましたけど。小学校の頃フィンガー5とか流行っていた頃なんで、学校で皆で踊ったりとかしてました。晃君と妙子ちゃんが同じ世代だから流行ったのかな。今考えるとよくそんな人が歌ってたなと思って。同年代っていうのがインパクトあったのかもしれない、フィンガー5は。
その頃はミュージシャンになりたいとかないし、ただウケたいが為に振りを覚えてくるとかあるじゃないですか。誰かが覚えてきて「お前あれ歌えるんだぁ」みたいな。そういう感じだったんじゃないですかね。

―音楽でいいなと思ったのは?

特に親がポピュラーミュージックを好きだった訳でもなくて。最初に買ってもらった洋楽のレコードがね、ジョン・デンバーだった気がするんですよ。

―渋いですね。

渋いっすね、今思うとね。教育上良さそうなアーティストだったんじゃないですかね、イメージとしてね。あとカーペンターズ。カーペンターズの方は曲はいいなと思って、すぐ頭に入って。
ジョン・デンバーに至ってはこれのどこがいいんだろうと思ってたんですけど。貰いもんだから。おじさんとかが、これ大好きなんだよって言って。多分今の俺くらいの歳だったんだろうけど(笑)、なんていうのかな、押し売りですよ(笑)。僕面白くなかったのを覚えてますもん。

―今はジョン・デンバー聴きますか。

聴かないですよ(笑)。興味ないですもん(笑)。割とすぐに、そのおじさんじゃなくて別の親戚かなんかに、ビートルズのアーリーベストみたいなやつ。青盤じゃなくてちゃちなやつを。それは擦り切れるぐらい聴いたような気がします。

―日本の音楽は如何ですか?

それこそフィンガー5ぐらいで。歌謡曲だったんであんまり。野口五郎とか好きでしたけどね。秀樹とかね。郷ひろみとか、普通にね。かっこいいなーとは思っていました。

―あの頃の日本の歌謡曲は洋楽のおいしいところをうまくパクっている作りですよね。

だから良かったのかもしれないですけどね。印象強いですよね、あの頃の歌謡曲は。

―本田さんが最初に弾いたのはウクレレでしたよね。

ビートルズのアーリー聴いてたのは小学校六年とか中学校前で、まだ楽器とかギターなるものでやっている認識すらないでしょ(笑)。中学入ってからギターを弾いている友達とか先輩とかが現れて、間近に見てこれは凄いかっこいいって思って。なんだか得体の知れないかっこよさがありましたね。
凄い流行ったんですよね。中学でギターを弾くってことが。フォーク、エレキ問わずギターを弾くってことがなんかブームになって。先輩もやってたし同級生もやってたし。
俺も欲しいなーと思ったとこで、ウクレレですよ。家にあったウクレレですよ。取り敢えず「ウクレレやりなさい」って。
あとからウクレレって凄いって認識しましたけど、その当時は「なんで?」って。面白くないな、4本しか弦がないし、こんな小っちゃいし、ペラッペラッペラッペラッした音だし。チューニングもなんかちょっと違うし。母がいわゆる入門書みたいのと両方セットで持ってて。
お袋のお母さんが三味線をやってたんで、それもなんかあんのかなって思いますけど。芸妓さんじゃないんだけど、そういう嗜みをしていた人だったらしくて。そのおばあちゃんがたまたま遊びに来て、弾いてくれたんですよ。ちょっと弾いてみましょうって、ウクレレで三味線のフレーズを。ブリブリと弾いてくれて。やるもんだなーって。ちょっと尊敬しました、おばあちゃんを。

―周囲に楽器を嗜んでいる人がいたんですね。

そうですね、そういう流れですかね、母方の。

―フォークギターを手に入れたのはいつ頃ですか?

中学校2年の頭か1年の終わりかなんですけどね。ウクレレじゃやっぱつまんないってことで。近所の質屋さんで、質流れのギターをおいてあるとこで。確か1万くらいだったかな? 1万5千円したかな? ヤマキのギターを買ってもらいまして。ソフトケース付で。

―ソフトケースっていうとチェック柄。

そうそう凄い鮮明な記憶(笑)。ソフトケースの選択肢は緑か赤ですよね。

―その頃って部活はやってらしたんですか?

バトミントン部でした。結構ハードなスポーツなんですよ。区で結構いいとこまで行った部だったんですけどね。僕は行ってないですけど。すぐやめちゃいました。やってるハードさに比べてあんまり評価されないスポーツなんですよ。羽根つきだろって言われるんですけど、いやいやかなりハードですよ。バスケ並ですよ(笑)、スピード感たるや。

―ギターを始めたからやめちゃったんですか?

そういうことだと思います(笑)、おそらく。

―一度に二つ三つやらないタイプですか。

ですね。いや出来たのかもしれないけど、やんなかったですね。夢中になっちゃうと一個のことしかやんないタイプで。一個靴履きだすとずっと同じ靴を履いているタイプです(笑)。

―最初にコピーした曲は何だったか覚えてますか?

フォークギターではたぶんかぐや姫だとかになると思うんですよ。「うちのお父さん」ていう曲が一番簡単でしたね。

―歌本とかは持ってました?

持ってましたよ。陽水さんも好きだったし。かぐや姫っていうか陽水さんだったかも、いちばん好きだったのは。楽曲も良かったですし、歌も上手かったし。コードブックみたいのがあって、コードも同時に覚えるのね、同時に。そこで初めてこういう形のものに。こうやって押さえるんだーって。
そういうのを覚える為にやってました。やっとギターを得たときに、周りの人はエレキ化が進んでて。ビートルズのバンドの人もいるし、同時にハードロックも入ってきちゃったんで。「やばい。俺も欲しい」って思ってたんですけど、しばらくはフォークギターしかなかったんで、フォークギターでエレキの曲をやってました。テレフォンピックアップっていう、電話の音を増幅するやつがあるんですけど、ラジカセにつなぐと一応エレクトリックみたいな音がするんですよ。ひっどい音なんですけど、大きい音が出るんですよ。
ラジカセだからちょっと歪んだりしちゃって、ディストーションかかってるみたいな。それ結構やってましたね。
それでスモークオンザウォーターとか。弾きにくぅーとか思いながら。ソロは弾けないんですけど、こんな感じみたいな。

―そのままエレキギターに行きそうなところをベースに行っちゃったのは何故ですか?

本当に隙間がなかった、やりたくても。実際周りの人がめちゃくちゃ上手かったんですよ、自分より。こりゃあ今から俺がいっても駄目だなって自分なりに思ったのかもしんないし、バンドやりたかったから「ベースがいないんだよね。」って話聞くとベースもかっこいいかもしんないしって思って。


 

 

本田毅
12月31日、東京都出身。
1987年PERSONZでデビュー。その後VERSUS、GITANE等を経て、現在fringe tritoneで活動中。

fringe tritone
VOCAL 斉藤 洋
GUITAR 本田 毅
BASS 本田 聡
DRUMS 斉藤 篤生


CD Information
NEW DISCORDER
2005.06.08 release
8BSN-002
\1,500(TAX IN)
1.first incline
2.HIGH GAIN LOOP SLIDER
3.風の行方
4.D
5.RED MOON DEAD
6.羽根

Live Infomation

8.19

Shibuya O-East
10.14 Shibuya O-West
 
   
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